2012年12月3日
更新のお知らせ
発売してから二ヶ月、ようやく
『バイオハザード6』(PS3、スコア74)のレビューを追加できました。
草稿はもうちょっと早く出来上がっていたのですけれど『オペラク』をやっていて遅くなりました。
レビューを書くに当たって気をつけたこと
今回のレビューはかなり長くて紹介を含めれば一万四千文字あります。
新書一冊で15万文字くらいあるそうですから、その十分の一程度の分量もあります。
時間のある方に呼んでいただきたいと思っています。
ビデオゲームとストーリーのつきあいは長く、「物語の獲得」から始まり、それが「物語性の向上」へと変わり、現在では「物語とゲームシステムの一体化」が進んでいます。
『バイオハザード6』はまさに「物語とゲームシステムの一体化」を実現しようとして作られました。
そこで、レビューを書く際には、『バイオハザード6』がビデオゲームの歴史とシリーズの歴史の上でどのように位置づけられるのか?をかなり意識しています。
映画の方法、FPSとTPSの違いに重点的に触れながら、ストーリー性の向上を基本テーマに据えています。
『バイオハザード6』の欠点
ところがストーリーと演出を詰め込んだ結果、不快な欠点が生まれてしまいました。
まったく面白くないクイックタイムイベントが多用されているのです。
レビューではクイックタイムイベントがなぜ面白くないのか?を根本的な部分から考察し、その上で『バイオハザード6』のクイックタイムイベントがなぜダメなのかを述べています。
ところでクイックタイムイベントは演出をプレイヤーに見せたいから行っているわけではありません。
ゴージャスな演出をプレイヤーに見せるだけでなく、追体験させ、緊張感をもたせようとしているのです。
むしろこっちの方が大事ですね。
演出をみせつつ、ゲームならではの入力を行わせているわけです。
つまり、「物語とゲームシステムの一体化」をやろうとしているんですね。
ただまあクイックタイムイベントはスマートな解決法ではありません。
どうしてかはレビューで書いています。
ストーリー不要論・グラフィック不要論はどこへ行ったのか? その1
「物語とゲームシステムの一体化」とは異なる方向のゲームはどこ行ったのでしょうか?
ここで登場するのがインディーズゲームとソーシャルゲームです。
インディーズゲームの定義は難しいのですが、小規模な会社や個人が製作し安価なダウンロード販売を中心に配布されているゲームだと思ってもらえれば良いです。
かなりおおざっぱにみると、インディーズではアイデア勝負のものと昔ながらのゲームを再現したものにわけられます。
どちらもゲームの根幹部分にはアイデアやバランスを置いている点で共通しています。
ストーリーとゲーム部分の一体化は二の次、というわけです。
ソーシャルゲームは日本だけ見ていたら分かりにくいのですが、アメリカやヨーロッパものはインディーズゲームに似たところがあります。
既にコミュニティが出来上がったところに、そのコミュニティを利用するように設計されているビデオゲームが増えてきているのですね。
ストーリー不要論・グラフィック不要論はどこへ行ったのか? その2
「物語とゲームシステムの一体化」は実際のところ、トリプルエークラスのゲーム(AAAタイトル)を中心に進められています。
更にはここにテクノロジーが加わり、「物語・テクノロジー・ゲームシステムの一体化」にまでのぼりつめていると言って良いでしょう。
膨大なマンパワーと最新技術が必要となるので、どうしても開発はお金のある会社に限られてしまいます。
ビデオゲームを語るときによくいわれていたものがあります。
「ストーリー不要論」と「グラフィック不要論」です。
今ではあまり意味を成さないというのがお分かりでしょうか?
ストーリーは合った方が良く、グラフィックはストーリーを補助しゲームシステムを豊かにするために使われるべきなのです。
つまり実現したいゲームに応じてストーリー性やグラフィックその他の技術は選択するべきで、0か1かのどれかに偏らせてよいわけではありません。
『バイオハザード6』は複数の主人公が織りなすストーリー、迫力のあるカメラワーク、映画そのものの演出、まるで現実かのようなグラフィック、その他もろもろが混じり合ったゲームです。
なにかを取捨選択するのではなく、すべてを取り込もうとしています。