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2010年 5月30日
日記書いたは良いけどアップロード忘れてた・・・。

まもるクンは呪われてしまった!  (XBOX360)のゲームレビューを追加しました。
出来の悪いシューティングゲームです。
興味がない方は読まなくてもいいと思います。

あしたケツイあたりをアップロードできそう。


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クリエイター様の発言をどうぞ

iPad発売で、任天堂の時代は終わったな。 DSとWiiで、ここに至る墓穴を掘っていたわけだが。

他の発言

>数年前WiiとDSがゲーム業界を滅ぼすと言ったが、その終焉ぶりがかなりのものらしい昨今。
>他業種みたく中国やインドといった新興国への供給とか真剣に模索しないとまずいんじゃないのか。
>なんて言ってると、とある誌面にてM氏を発見。さっさと業界離れて、ボードゲーム屋のおやじになってたのか!

>アイデアが誰にも思いつかないほど壮大で奇想であればあるほど、それはバカミスと紙一重となるおそれをはらむ。
>コアとなる奇想をどう語るかというのは、稀なる食材をどう料理するのかという料理人の苦悩と決断に似ているのかもしれない。
>それを美味い、不味いと判断するのは、受け手側の自由とだが。

もっとあるかもね。


2010年 5月29日
パソコンってのはツールだけど、慣れが大事だと思わせるよなぁ。

インターネット喫茶とかにあるパソコンってTN液晶、ガチャガチャのキーボード、ハイセンシマウスと狭いパッドですんごく使いにくい。
もちろんこういうのを普段から使っていれば不都合は感じられないのだろうけど。

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TimeShiftという洋FPSをげっちゅ。
有名なFPSはほとんどやりつくしてしまったので、こういう微妙ゲーが今後多くなるかもしれない。


2010年 5月28日
『日本を変えた10大ゲーム機』という本を一気に読んだのだけど、本としての作りが甘いというか何というか。
論旨が分かりにくい構成はまぁ、校閲がたりない。
今後この本を利用したデータ集にしようにも定量的なデータがあいまいにしか示されておらず、あとでゲーム業界を振り返るための参考にならない。

ここ数年新書ブームで大量に新書がつくられる一方で編集者の力量低下やザツな編集が問題になっているらしいです。
本自体の内容も玉石混淆の石しかない状況とも。


もともと新書というのは(言い方は悪いけど)啓蒙書としての側面が強かったようです。
最新研究をわかりやすく伝えたり、その道の専門分野が学習のために書く。
しかし新書ブームで本来なら書籍化されるべきではない内容の本が続々と作られてしまっている。
うーん・・・。


2010年 5月27日
度をこさない続編は好意的にうけとめるべき

ここ10年は開発費の高騰や不況の影響でほとんどゲームメーカーは資金繰りが厳しいと言われています。
不況については時期がすぎれば立ち直るのでしょうが、据え置きゲーム機を震源とする開発費の上昇は業界内の努力を行うしかありません。
ハードメーカーは作りやすい環境やコストが抑えられるハードを作り、ソフトウェアメーカーは身を削る気持ちでコスト削減を行っている。
そうした状況ではヒットしたゲームの続編が生まれるのは仕方がないと言えます。
またユーザーとしても良い点はあるのです。
以下、理由を並べてみましょう。

1.開発費が抑えられる
ゲームデザインの面と、プログラムの面の二つから言えます。
新規のゲーム作りにおいて最も時間がかかるのは、コンセプトなどを決める段階です。
続編は位置から考える必要がないので大幅に開発期間を短縮できます。
またゲームルールやプログラムはある程度使い回しがきくので、これもコストを押さえるのに役立ちます。

2.改良品なのでたいていは質が良く、ユーザーもハズレをつかみにくい
一作目を反省して作られていますので一定の質は保証されています。
ユーザーはお金をどぶに捨てる必要がありません。

3.つまりメーカーは安定して利益を得られることになり、新フランチャイズへの投資となる
普通のメーカーならば、こうした定番ゲームで得た利益を新しいゲームへの資金としています。
お決まりのゲームの合間に実験的なゲームがあるからこそ、どちらも光ります。
定食ばかりだと飽きがきますので、たまには変なものも食べたくなるのです。

4.ハードの寿命が延びている現況では続編を作ることが延命策となる
消極的な理由となってしまいますが、今世代ハードの寿命はかつてないほど長くなると思われます。
だからPS3やXBOX360がモーションコントローラーをハードの5年目(6年目)に投入してくるのです。
任天堂もマリオギャラクシー2で初めての「同世代機の続編」を出しました。
かつては一ハード一フランチャイズの法則などと呼ばれているものがありまして、例えばSFC以降のスーパーマリオ、マリオカート、エフゼロ、スターフォックスは原則として一回しか出ていません。
今になってそのキマリを破ったわけです。
プログラムの資源的にももったいないですからね。
有効利用しようというわけでしょう。


しかし問題はいくつもあります。
1.続編ばかり作られるとユーザーが飽きる
私の中では同じゲームは三つ目が限度です。
いくら改良と言っても、追加要素をつけるものばかりでシリーズが進むごとにゴテゴテギトギトのゲームとなってしまうことも多い。
そしてヒット作というのはどうにもこうにも同じような「におい」を持つゲームが多く、売れ筋ばかり作っているとライトユーザーを中心にゲームから離れていく。
昔のカプコンなんてまさにその典型で、ストリートファイターIIがヒットしたらバランス改善版を恐ろしいほど大量に生み出し、ストリートファイターZEROシリーズや3もたくさん出しています。
バイオハザード1がヒットしたら立て続けに2、3、コードベロニカ、リメイクバイオ1、0とユーザーが飽きるほど作り、4でようやく違うゲームとなった。
もちろんカプコンが若手研修用にシリーズを作っていたとも考えられますが・・・。
ああ、そうそう、格ゲーの「キングオブファイターズ」なんかひどいもんですよ。

2.創造性の発揮できない仕事に開発者の士気が下がる
改良しかできないのならプランナーはもちろん、プログラマーもマンネリをいやがってしまう。
HALOシリーズを作ったバンジーがマイクロソフトとの契約を止め、CODシリーズを作っていたInfinity Wardは事実上別会社を立ち上げた。
ここから見えてくるのは、いつまでも続編を作らせたい大会社と自らの創造性を発揮したいクリエイターたちとの感覚のズレです。
スクウェア・エニックスはほんと毎ハードごとにリメイクや移植をしますが、開発者の気持ちはどうなってるんだろうと思います。
(ただ、若手の研修を兼ねて作っている可能性はあります)
そして下請けメーカーは親会社の意向で同じものしか作れない可能性もあります。
将来にむけた開発陣のスキル蓄積という観点でもよろしくない話です。

3.開発費が高騰しているので、中小メーカーは続編を作り続けるしかないことにもなり得る
中小メーカーの中には同じゲームしか作ってないところもあります。
ファルコムとかケイブとかですね。
ときどき完全新作が出るものの、あまりヒットせずにまた人気フランチャイズの復活を行います。
つぶれるメーカーはヒット作の続編しか出さなくなり、しまいにはオールスターゲームをつくって死にます。
(決算表みてると大丈夫だと思うけど)みなさんわかるとおりファルコムさんのことです。


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Another Dayのベータテストに応募したよん。
楽しみだ。

2010年 5月26日
ソルジャーオブフォーチュン2
画像注意(残虐な表現があります)






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メモ(プレイステーションがセガサターンに差をつけた理由)

『ゲーム産業の経済分析』という本を読んでいて思ったこと、軽く調べたことを書いてみる。


95年は両機ほぼ互角の戦いをしていました。
この年はバーチャファイターが130万本売れて、SSが唯一PSに勝っていた年です。
しかしPSもアークザラッドが100万本も売れていまして、それほど大きな差はありませんでした。

次の年の96年はPSがSSを抜かした年です。
『ゲーム産業の経済分析』という本では96年の5月からPSがSSを抜いた転換点になったとされているので、それまでに何があったのかを振り返えってみます。

2月:ファイナルファンタジー7のPS参入発表
3月:ともにミリオンヒットとなるバイオハザード、鉄拳2がPSで発売。PSが25000円、SSは20000円に値下げ。

これだけです。
PSがなぜSSに勝てたのかという理由は様々に提起されていますが、やっぱり初代バイオが効いたんじゃないでしょうか。
SSの強みのバーチャには鉄拳という代替品が存在しています。
ただし、FF7の参入発表の効果は『ゲーム産業の経済分析』では否定されています。
このときに何があったのかは、もっとよく調べないといけないといけない。

つぎ。
6月:PSが20000円に値下げ
夏から年末にかけ、ポポロクロイス物語、女神異聞録 ペルソナ、アークザラッド廉価版、同II、ワイルドアームズとPSにRPGが連続的に出る。
一方のSSはナイツ、サクラ対戦などのセガゲーがでてくる。

よくPSはRPGで勝ったと言われますが、確かに弾みをつけたのは確かなようです。
ここら辺で一般層がどんとPSを買ったのかもしれません。
『ゲーム産業の経済分析』をみてて思ったのですが、96年のPSは7月8月に(当時の)過去最高の売り上げを記録しています。
これ、普通はあり得ないですよ。
一般に年末ほどゲーム機は売れます。
おそらく夏休み需要で売れたのではないかと思いますが、それよりもバイオと度重なる値下げ、RPG攻勢が理由で前年度の年末商戦を上回る売り上げを生み出したと私は仮定してみます。


ここでうっすらと見えてくるのは、SSvsPSは実のところ『セガvsSCE&ナムコ&コナミ&カプコンほかの中小メーカー』という構図です。
コナミやカプコンは両機種に出したゲームもあるんですが、PS独占や先行販売があります。
例)幻想水滸伝、ウイイレは独占、ときメモ、バイオは先行。

当時のゲーム開発には一年からおそくても二年ほど必要ですので、PS前後とともに各メーカー制作開始した第一陣が96年に出ていることから考えて、参入前から一定の勝負がついていた可能性はあります。
それはプレイステーションの開発環境のたやすさとかソニーの積極的な営業とか、色々あるでしょう。
もうちっと調べてみます。


2010年 5月24日
ソルジャーオブフォーチュン2

ソルジャーオブフォーチュン2というゲームをやっています。
PCゲームです。
「1」をクリアしたので2をやり始めているというわけです。
このゲームの後は「Return to Castle Wolfenstein」をやり、「Wolfenstein」に繋げていこうかと持っています。
Rtcw以外は同じ会社のゲームが続きます。

でね、ソルジャーオブフォーチュン2はやたらとゴア表現がひどいんですよ。
ショットガンで敵を倒すと人体欠損したり血がどばっと出たりします。
やり過ぎ。
これが『撃つ感覚』を高めているのは確かですが、ちょっとえぐい。
画像はそういうシーンではないのをチョイス。



2010年 5月23日
Stingだめだな・・

正式サービスが開始したオンラインFPSSting
MODが使えるということで注目されていたけれど、肝心のゲームが微妙だったものだから人が集まらなかったオープンベータテスト。
しかし改善が行われる気配も無しに正式サービスに突入してしまった。
いくつかのダメな点を箇条書き。

1.キャラクターのモデリングが良くない。
追加された女性キャラがぜんぜんダメ。
足の長さとかも変だし、テクスチャもみすぼらしい。

2.ユーザーセッティングで体力が低い設定ばかり
先に見つけて少しでも当てた方が勝ちというゲームになりやすい。

3.一つのマップにが多い
30人対戦サーバーばかりでお祭り騒ぎ。
などなど。

新しく追加されたマップは「エイムマップ」ばかりというのも寂しい。というか手抜き。
エイムマップとは敵と味方が遠い場所でにらめっこするタイプのマップ。
コンテナのような障害物が設置されていて、そこに体を隠しながら遠くにいる米粒のような敵を狙撃する。
練習に使うマップなのでここで真面目に対戦をしても面白いわけがない。

それとカウンターストライクのパクリマップも言葉が出ない。
アステカとダスト1そのままとかね。


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FEARがSteamで買えるらしい
9.99ドルと安い。

2010年 5月22日
アフターバーナー クライマックス (XBOX360)のレビューを追加

昔っからあるゲームバランスだけど、安いし映像もきれいなゲーム。
難易度設定で簡単にもできるので、誰でも遊べると思います。
ただ、すぐ飽きる。
わざわざこの値段で出てきたのも納得できる。


なんか同じような画像ばっかりだな。見直して後悔した。

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Googleのロゴでパックマン遊べるね。


でも、放置してたら勝手に始まるのはやめてくれ><(追記)



2010年 5月20日
クリック、クリックで指を酷使!?
>ここ数年、パソコン作業のやりすぎで腱鞘炎になる人が増加しているんだとか。ちまたで「パソコン腱鞘炎」などと呼ばれる

FPS中毒になったひとは誰もが経験したはず(?)だねこれ。
痛いのを湿布貼ったり、塗り薬塗ったりして我慢しながらやり続けるという・・・。
よくそんなことやってたな自分。



2010年 5月19日
F3AR(FEARシリーズ三作目の最新トレイラー)

初代FEARはジャパニーズホラーを重視していたゲームだったのに、二作目ではただのスプラッタホラーになった。
んで三作目もこれを見る限り、バケモノがでてくるだけの映画って感じになっている。
デッドスペース(やったことないけど)がホラーゲームと称されているけど、ああいうのって、私はただのゴア表現にしか思えないんですよ。
というわけでフェイタルフレーム(零)シリーズについて私は特に高い評価をしております。

スプラッタホラーが悪いとは言ってませんよ。
ただのビックリなんで、恐怖表現としてはあまりほめられないと思うだけです。


FEARレビュー 
FEAR2レビュー 

フェイタルフレーム ゼロ スペシャルエディション
フェイタルフレーム 2 クリムゾンバタフライ

2010年 5月18日
ゲーム開発者によるレビューという勇気ある挑戦・・・「小野憲史のゲーム評評」

小野憲史は前々から開発者の考えを公開することを提言してきた人ですね。
ツイッターなり、講演なりを使ってみるようと言っていました。
この記事とその前ではゲーム開発者による、シロウトとは違った視点のレビューがあっても面白いのではないかと言っています。
私も同じような意見を持っている・・というのはずいぶん前の日記にも書きました。

やはり常日頃から「何が面白いのか」「どうして面白いのか」を考え続け、ゲームを実際に制作している人の意見は貴重です。
ゲームは、小説のように批評されることを目的とした『賞』が確立されていません。
確かにあると言えばありますがきちんとした選評、つまり選ばれた理由が明記されてがいない。
そういう意味では、開発者同士が互いのゲームを批評しあう土壌もない。
さすがに日本人がつくったゲームならばはばかれるでしょうから、はじめは海外のゲームから講評してみてはどうだろうかと思います。
どうも日本人は『違う考えを持つ」ということは仲良くなれないことへの第一歩であり、非難や中傷と同類のものだと考えているフシがあるようです。
(私自身はなんとも思いませんが、いわゆる日本人論には書いてることがあります)
「じゃあお前はどうなんだ。作れるのか」という反論がすぐに出てくるところからもわかると思います。
(余談ですが死刑廃止・存置の話でも、ややもすれば同じ展開の水掛け論になってしまいますね)


さーて、私のレビューの道が混沌としてきたぞ。
考えれば考えるほど深みにはまっていく。

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Amazonのレビューだけど、古い本やゲームはレビューしないことにしました。
誰も読んでくれなさそうなので。
短いけどけっこう書くのに時間がかかるんだよね。


2010年 5月17日
テレビゲームという言葉

日本ではゲーム全般を「テレビゲーム」と良い、アメリカではビデオゲームという。
別にテレビに映すわけでもないアーケードゲーム、携帯ゲームもなぜか「テレビゲーム」とひとくくりにされるのは不思議なので、いつから使われているか調べることに。

まずは1979年のインベーダーブームのころはどうだったのか調べたら格好の資料がありました。
リンク先(上の動画4分40秒)
そこでは当時(1979年)テレビゲームと呼ばれているのがわかる。

私は仮定として「任天堂がテレビゲームという言葉を広げた」と思っていたのですが、見事に外れました。
つーわけで、かつてファミコンがゲームの代名詞となっていた、のと混同していたのかな、と思います。
プレステ、サターン、ロクヨンの時代まで、ファミコン(やスーファミ)はゲームの代名詞でしたね。

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MOD制作者による七つのマップを実装。WeMade Online,オンラインFPS「STING」の正式サービスを5月20日にスタート

STING。
ベータテストレビューもしたけど、本サービス開始して一ヶ月くらいたったら本レビューでもしますね。

レビューと言えばカウンターストライクオンラインもやってない。
ベータテストで見限ったきり。


2010年 5月16日
昔の個人ホームページにありがちなこと 「勝手に流れるMIDI」「キリバン報告」「左右に動く文字」など
>9位 相互リンク募集中 72 (4.8%)

このサイトじゃん!

『次の企画はある種のタブーに挑むことになる。間違えれば業界を去ることになるかもしれない。』 by小島
あえてコメントは無しで!

2010年 5月15日
図書館行ってゲームに関する本をたくさん借りてきた。

よみきれるかな。


2010年 5月14日
王道RPGが消えた理由2
昨日の続き。
もう少しだけ書き足しておきたいので。

RPG同じように、据え置きから消えつつあるジャンルがあります。
むかしながらのアドベンチャーゲームです。
いまは「シャドウゲイト 」「オホーツクに消ゆ」とか「かまいたちの夜」系統のことを指しています。
アンチャーテッドのようなアクション要素を持たないゲームのことです。 アドベンチャーゲームといえば逆転裁判シリーズがGBAで大旋風を起こし、今はDSやWiiへも展開されていますね。

RPGやアドベンチャーゲームはファミコンのころからあるゲームですが、この二つにかなり特徴的な要素はあります。
何だと思いますか?
私の思うに、『実際に起こりうる行動を限りなくより分けて、一瞬を描き出している』ことにつきます。
言葉は下手だし抽象的なんで説明しますね。
RPGもアドベンチャーも現実の行動(戦闘や推理する場面)をなんとか再現しようとしています。
理想はテーブルトークRPGのようにリアルタイムで何でも進行することなのだと思いますが、ファミコンの性能やインターフェースの問題により、そっくりそのままの再現は難しい。
ですから苦肉の策としてコマンドを用意して擬似的にリアルタイム性を演出しています。
コマンドなので、一瞬一瞬の時間を切り取っているわけです。
本来ゲームの中でやりかったことの妥協だったわけです。

そして2000年代以降(性格にはドリキャス以降)のゲーム機は3D性能が抜群に高くなり、本来の意味でのRPGをできるような環境が整ってきます。
美しい映像で自分がなりきる、自由に動く、それはグランドセフトオートやTESシリーズが代表的といえるでしょう。
ところが日本産のRPGはかつてのコマンド式ゲームを守り続けます。
これには理由があります。
コマンドを選んでゲームを進めるという方式そのものが面白かったのです。
つまり、現実の再現であること(リアルであること)が必ずしも良い・面白いとは限らないわけです。
よくスポーツが戦争や狩猟の一シーンを切り取ってルール化したといわれますが、スポーツはそれが面白さを生み出していると言えるでしょう。
日本のRPGやアドベンチャーゲームは、そのようなルール作りを重視していると考えられます。
しかしRPGはあまりにも固執しすぎてPS2時代に有名シリーズはかなり死に絶えてしまいました。
なぜなら、PS2の性能はコマンド式RPGには必要なかったからです。
アドベンチャーゲームにも同じことが言えます。
元々性能が低いコンピューター向けに専用に作られたはずのものが、なぜか性能が上がってもそのまま残り続けることで、映像美しか前時代のゲームと差をつけられなくなってしまいました。
その意味でFF13の戦闘はかなりがんばっている。
でもシナリオがどうしようもないほどダメだったのですべてが帳消しになってしまっている。

だからむやみにグラフィックを追求する必要のない携帯ゲームに移っていったといえるでしょう。
いつでもどこでもこまめにセーブできるというのも理由のひとつかもしれません。
昔のゲームはセーブもゲームのひとつでした。どこでセーブするかが意外と重要でした。

話がやや飛躍いたしますが、次の世代のゲーム機(PS4世代)はもう一度この問題がほとんどのジャンルで表れてくるでしょう。
現世代は、いわばPCゲームの遺産を引き継ぐ形でFPSが大ブームとなり、オンライン要素が当たり前となりました。
PS3もXBOX360も小さなパーソナルコンピュータです。
しかし次の世代は、XBOX360が目標としたPCのような、先を行くものがありません。
WiiやDSが一歩先にいっているような気はしますが、あの任天堂でさえ手を焼くインターフェイスをさらに発展させるのはいかがなものか。
ハードウェアメーカーが次世代ハイスペックゲーム機を作る気配がない、隠れた理由がここにあるかもしれません。

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ちなみにシャドウゲイトはその手の人たちには有名なゲームですので、知りたい人は以下の動画をみると良いかもしれません。



すぐ死んでしまってお世辞抜きにクソゲー一歩手前なのですが、見方を変えると、すべての選択肢が存在する「自由度」とそれを彩る文章が魅力的なゲームなのです。
まあ不親切ですけどね。

ざんねん!!わたしの ぼうけんは これで おわってしまった!!
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「Call of Duty: Black Ops」はdedicatedサーバ有り!専用サーバは優れているとTreyarchが発言

TreyarchのほうがInfinity wardよりも面白いゲームを作っていた。
すごいゲームはInfinity ward。
Treyarchよくわかってると思う。
P2Pやホストサーバーのみのダメさは 私が繰り返し繰り返し述べてきたことでもあります。


2010年 5月13日
王道RPGが消えた理由
最近の日本製RPGはかつての王道と外れていると言われています。
とくに言われるのは中世ヨーロッパ的ファンタジーの欠乏。
よくファイナルファンタジーを引き合いに出して「あんなのファンタジーじゃない!」と言われていますね。
最近はSFストーリーだったり、近未来的だったりするRPGが多く古き良きRPGは消えています。
かろうじて昔からの雰囲気を残すのはドラクエのみでしたが、最新作の9はドラクエらしくない挑戦を行い、賛否があります。
ではどうして王道は消えているのでしょうか。

実は消えていません。
場所を変えて生き残っています。
それは携帯電話、ニンテンドーDS、そしてRPGツクールに代表される個人制作やさらに質の高い同人ゲームです。
同人に関しては少し置いておいて、携帯ゲームについて考えてみます。

そもそも、日本のRPGはドラクエの派生作品がほとんどです。
かのFFですら一作目はドラクエに近い形のゲームでした。
原点に近いウィザードリィ系は主流ではありません。
つまり言い換えれば、ドラクエ以降のゲームは今で言う王道ばっかりだと言えます。
SFC、PSの時代となってより多くのメーカーが参入しても、やはり王道ゲームは多かったと記憶しています。
さすがにPS時代は王道ではないゲームが数多くありましたが。

そうしてDC、PS2の時代になると、ゲームに必要な容量が膨大になり、多くのメーカーが立ちゆかなくなります。
ここぐらいになると一部の大作以外は勢いがなくなってくる。
具体的な数字は調べてないのでわからないのですが、GBAや携帯電話のRPGがかなり力を持ち始めた時期でもありました。
特に携帯電話のゲームは300円や500円で販売されていることもあって作りが単純、言い換えれば王道ゲームが目につきます。
それは現在でもあまり変わっていないと言えるでしょう。
据え置きゲームの華やかな世界からは一歩引いたところにいるものの、GBA・DS・携帯電話に王道RPGは息づいています。

また、王道というよりも、原作そのままの移植が携帯ゲームに多いことも特徴でしょう。
ゲームバランスの調整などを行い、より遊びやすくしリメイクされることもしばしばです。
最新のiPhoneですらFF1とFF2が出て人気がありますし、スクエニは『ケイオスリングス』なる新作王道RPGも出しています。
また携帯電話ではケムコ(旧コトブキシステム)が何年にも渡って毎月一作以上のペースで玉石混淆ながらRPGを発売しています。
DSでは比較的小さいメーカーが制作をして大きなメーカーに作ってもらったり、PSPではファルコムが参入しています。
何も日本のRPGは死んだわけではありません。
場所が変わっただけなのです。
ただ、金をかけたゲームが減って悲しいなということもありますが・・・。



2010年 5月12日
『ゲーム性』という言葉について
ゲーム性という言葉は定義がはっきりせずに使われている。
レビューで使われるときは、面白いゲームかどうかの判断に使われているのが多い。

あんまりにもあいまいな言葉だから嫌いなんだよね。
私は「ゲームであるかどうか」について使うことが多くて、「ゲーム性がある、ない」を一セットで使う。
これは『数学の問題を解くことはゲーム的である(ゲーム性がある)』。
とか『プラカードをもってずっとたっている仕事はゲームではない(ゲーム性がない)』と使ってる。

じゃあゲーム性があるってどういうことなのか。
自分の中では「あるルールに従った知識・技能を組み合わせて物事を行うこと」だと思う。
要するにモノ自体(ソフトウェア)にはゲーム性なんてものはなくて、自分がゲーム(とみなせるもの)をやって何かしら上記のようなことをやったときに、勝手に命名しているようなもの。
ここで重要なのは甘い苦いとかいう生得的なものではなく、ルールを学ぶことやゲーム(とみなせるもの)をやることによって初めて意味が出てくると言う具合。
もしルールも何もわからないゲームを見ても面白そうとは思わないでしょ。

まあ、どうでも良いことなんですけどね。

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説明書の教科書化

説明書がつまらない。
本当に説明するだけになっているからつまらない。
もっともっとはじけてもいいんじゃねと思う。

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以下
メモ書き。

批評とは楽しい楽しくないなどの心理的現象を起こした理由を、他人にもわかるような理解できるような言葉で表すこと。

共感とは、他人と自分の意見がたまたま一致しただけ。
小説で登場人物の行動が筋が通っていたら、たとえ共感はしなくとも理解はできる。
「ああ、やっぱりこういうやつだから、こんな行動したんだな」といった具合。
野球が嫌いな人が、草野球を趣味とする友人はプロ野球観戦が好きだと聞いて「ああ、そうですね」と納得する感じ。

なんか私の嫌いな「はてなダイアリー」みたくなってきたので、こういうことはなるべく書かないことにしますです。
戒めとしてアップロードします。


2010年 5月11日
Another DayとかいうオンラインFPSが6月クローズドベータ、7月オープンベータらしい。
FEARとCrysisが混ざったようなゲームなのでちょっとだけ期待している。

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テレビゲーム風雲録 インベーダーからドリームキャストまで の本紹介と感想を追加

面白い本なので、探してみると良いかも!


2010年 5月10日
ウェブサイトの横幅ををやや広げました。
900ピクセルとちょっとに設定しています。
私がこのウェブサイトを作り始めたときはほとんどの人がモニターの横幅解像度1024だったそうなんですが、最近は80パーセント以上の人が横幅1280ピクセルになっているそうです。
で、広げるに当たってYahoo japanの950ピクセルを参考にしたわけです。
ほぼ同じ大きさになってます。たぶん。

それとゲームレビューへ飛ぶためのページ(こちら) に一言コメントと画像をつけて、見やすくしました。
相当ページの容量が大きくなって見にくくなっているので、来年ぐらいには新しいリンクページでも作ろうかと思っています。


ゲーム関連本・デバイスレビュー のコーナーを新設しました。
今のところ『ゲームと犯罪と子どもたち』という本の紹介と、マウスパッドのレビューがおいてあります。
『ゲームと犯罪と子どもたち』はアメリカの研究者がゲームが子供の与える影響を調査した本です。
調査結果ではゲームが直接、子供に悪影響を与えるという証拠は見つからなかったそうです。
少し感想を書いてあります。

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これかっけえわ。
最後の方がゲームに関係あるよ。



ニコニコのコメントがみたいなら↓
【ニコニコ動画】合気道の達人がドラゴンと対決

2010年 5月8日
エロゲユーザーの3/4が割れ厨らしい

各種データが正しいかはわからないけど、『戦国ランスの売り上げ10万、パッチ100万ダウンロード』は事実ですかね。
二回ダウンロードする人もいるだろうなと考えても、尋常じゃない数のP2Pユーザーがいることはあきらか。
何か対策を立てようとも海外大手みたいなプロテクトコピーは金がかかるし、効果も疑問です。
もう八方塞がりか。

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ゲームレビューにアンチャーテッド 黄金刀と消えた船団  (PS3)を追加。

アンチャーテッド。
すごいゲームです。
ここ10年くらいのゲームの良い点を余すことなく取り入れた傑作だと思います。
1でその片鱗が見られますが圧巻なのは2です。
カメラワークや操作性がさらに進化をしている。
二作目の方が面白いという、変わったゲームでもあります。

ただね、好き嫌いは出ると思うんですよ。
TPS中心であることと、いろいろなゲームのパッチワークであること
いくら丁寧に美しく整然とまとめ上げていても、アンチャーテッドが嫌いな人は上記の二点を嫌います。

もうちょっと突き詰めた言い方をすれば、ゲームに求めるのが「新しさ」なのか「完成度」なのかでアンチャーテッドの評価はかわってくるでしょうね。
新しいものがほしい人はアンチャーテッドが気にくわないでしょうし、完成度を求める人は好きになる。
私はどっちかというと新しさが好きかなと思います。
完成されたゲームを遊ぶのは楽しいことなんだけど、なにか心にしこりとして残るものがある。
それは、新奇性を求めないゲームばかり作られ続けると、いつの日か同じようなゲームしかなくなってしまうのではないかという危機感があるからです。
あんまり考え過ぎかもしれませんけど。

でもアンチャーテッドみたいなのは必要なんですよね。
ひな形として。ゲームの善し悪しを計る基準として。


2010年 5月7日
アクティビジョンはInfinity Wardという金のなる木を潰してしまった。
けれどコールオブデューティーというブランドは残っているわけだから、アクティビジョンが強気なのはわかる。
看板さえあれば売れる。続編であれば売れるというのはあながち間違いではありませんので。

あと三原について一言。
三原の領域とかいうブログをやっているアリカ(ゲーム会社)の副社長。
ゲームの移植が気に入らないのなら自分でやったらいいと思うよ。
なのに自分で移植することがない人。

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ゲームレビューにアンチャーテッド エル・ドラドの秘宝 (PS3)を追加。
感想は続編もアップロードする明日にまとめて。
点数は79点。


2010年 5月6日
iPhone持ってない人間が考えたこと

アップルコンピュータは商売がうまいと思う。
iPhoneやiPadが人気だけど、アップルはあの機械を提供しているだけだ。
ウェブも電話機能も、そしてアプリケーションもアップルは場所を提供するだけ。
自分たちがリスクの大きいアプリ(ゲーム)開発に直接乗り出しているわけではない。

だからいつの日かiPhoneがニッチもサッチもいかなくなるとき、アップルは素知らぬ顔をしてiPhoneのサービスを止めて、アプリとして供給していたゲーム業界を切るだろう。
これが怖い。
あいつらはゲームのことを考えてないと思う。
任天堂、ソニー、最近のマイクロソフトとは違う。
経営判断しては非常に正しいことだろうけど。


2010年 5月5日
日本人が洋ゲーをやるとき(特に戦争物FPS)
「英語音声かっけえ−。雰囲気出る!」
「エネミーアーマースポッテッ!ネガティヴ、テイキングファイアーニードアシスタンス!ステンバーイステンバーイ!日本語吹き替えいらね」

外国人が日本のゲームをやるとき(特にRPG)
「日本の声優レベルたけえええ!cool!」
「うちらの国のカス吹き替えいらね」


外国語音声に字幕だけのほうが、下手に吹き替えをするよりも良いかもしれない。


2010年 5月4日
『サドンアタック』春の王者が決定!――秋葉原PCゲームフェスタ5日目リポート

絶望的すぎる実力差…『AVA』韓国最強クランはやはり強かった

オンラインFPSのクランマッチの模様を二つ。
日本ナンバーワンを決める試合と日韓戦を違うゲームで。

韓国はFPSが強いという。
ただそれは上の上にいる人たちの話であって、普通のプレイヤーの実力は日本人と変わらない。
韓国は日本よりもFPS人口が多く、分母が大きければ大きいほど上に立つ人間もそれだけ強くなる。
それに八百長騒動があったとはいえ、プロゲーマーが一定数いるわけですから、ゲームに対する意識も違ってくる。

4月末に格闘ゲーマーとして有名なウメハラがアメリカの企業MadCatzから支援を受けて「プロゲーマー」となった。
ウメハラは格闘ゲームで強くなることだけを考えて生きてきたと言ってもよい。
正社員などならずにバイトで暮らしてきたのも、それは自由に使える時間を確保するためであった。
そこまでやらなければプロゲーマーになれない現状では、多くの人はゲームを極めるという行為を選ばないだろう。
プロ野球選手のような華やかで収入もある将来がおぼろげながらも見えるのなら別であるが。

AVAの韓国チームはこのようなことをやっているらしい。
>聞けばASTRICK側(韓国のチーム)は、メンバー同士の信頼感を高めるため、日頃から一緒に住んで練習しているとのこと
彼ら韓国チームの目指すところは何なのだろう。
プロゲーマーかそれとも最強を目指しているのか。
どちらにしろ真剣に取り組む気持ちは、プロゲーマーという手本がいるから生まれてくるものだろう。

私はプロゲーマーに諸手を挙げて賛成ではない。
ただの娯楽として生まれてきたビデオゲームが競技化することへの懸念があるくらいだ。
オンラインゲームにおいてプレイヤーの技量が高くなるのは決して良いことではなく、むしろゲームの寿命に近づいてしまう。
うまいプレイヤーにあわせたゲームは一見さんやへたくそプレイヤーを寄せ付けない。
先鋭化した格ゲーやシューティングゲームの無残な姿が好例だ。



2010年 5月3日
昨日の話と続きますが、4gamerは今年の4月ごろから急激にレビューの数を減らしているようですね。
紹介という名前の記事に変更しています。
これはこれでいいんじゃないの。

数年前まで「ゲーム批評」という雑誌があった。
メーカーからの広告やサンプルソフト提供を受けないので正確にレビューできるというのがウリでした。
ただ採算がとれずにやむなく広告を募集することになり、最後のあたりはただの「ゲーム紹介」になっていた。
なんかさ、ユーザーはネットでレビューを探すようになってしまって、書籍や営利企業のレビューを必要としなくなったんだろうね。
誰でも発信できるようになってくると、ゲーム雑誌に書かれているレビューの質が高いとは言えないことがわかってくる。
それならユーザー参加型レビューサイトやブログ巡りで数多くの意見を探した方が良い。
ましてや昨今は体験版やゲーム動画の隆盛で、簡単にゲームの内容を知ることが出来るようになっている。


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BSジャパン デキビジの『勝間和代 VS 西村ひろゆき』の対談が面白いと話題

初めて勝間が話している映像を見たけど、ほんと早口だな。
早すぎて何言ってるかわかんねえ。

勝間は自分の土俵に持ち込んでくそ真面目に話そうとするのだけど、ひろゆきはまともに取り合わない。
ひろゆきがはぐらかしつつ、おちょくっているものだから、単純な勝間が感情的になってそれをひろゆきが「マジになってどうするの?」「必死だな」と言っている。
最初から誰かに仲立ちしてもらった方が良いね。
見る価値もない動画。

しかし最後にアナウンサーはうまくまとめてるよな。



2010年 5月2日
PCゲームとゲーム機

XBOX360の登場により、マルチ展開をするゲームは格段に増えました。
かつてのような劣化移植ではなく、ほぼ同レベルの移植であることも特徴です。
わざわざ時間とお金をかけてPCを用意する必要性を感じられない人も増え、XBOX360やPS3ユーザーへと変わっていく人もいます。

PCゲーマーとしてはわりと有名なaki_tanさんも先日XBOX360を買ったそうです。
XBOX360で発売される「スプリンターセル コンビクション」の日本語版がやりたいから、というのが理由だと書かれています。
ずいぶんとPCのグレードアップをしていなかったそうなので、この際思い切って乗り換えてみたということでしょう。
ほんと楽ですものね。

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4Gamer インターネット時代における「ゲームメディア」の役割――「テレビゲーム産業白書」に寄稿した記事の全文版を掲載

一言で要約すると、「ユーザーとメーカーの間をつなぎ、本当に面白いゲームを宣伝します!」ということ。
私のサイトのような自己完結するレビューではなく、ゲームを紹介して買わせるレビューや紹介記事がこれからのネットメディアに必要だってことですね。

以前、私がGame Spot Japanに提言したことを4gamerはやろうとしているのか。
でも、記事でも触れられているようにただのレビューよりも「面白さの紹介」はすごく難しい。
ときどき魅力を伝えるのがものすごく上手い人がいるんだよな。
才能といってしまえばそれまでだけど。

もう理念としてわかっているのだから、4gamerはレビューを廃止して紹介だけすればいんじゃないか?
個人のレビューサイトなんて山のようにあるわけだし、4gamer自体も個々人の意見を吸い上げられるように作っている。
ゲームのレビューはそれこそ映画批評や文芸批評のように批評術を必要としないので、わざわざ専業である4gamerがやる必要はないと思うんだ。

ファミ通は似たようなことやってるけど、ただの情報誌になってるんだよね。
新聞社と通信社の関係に似ていてて、ファミ通は通信社にそっくり。
とにかくニュースをかき集めてきて中立的に紹介をする。(特集記事は別)
クロスレビューはそういう雰囲気がなくて裏金と知名度で点数付けされているのは終わってるけど・・・。
さしあたり4gamerのめざすところは新聞社ってところか。


2010年 5月1日
『ゲームと犯罪と子どもたち 』という本を図書館で借りてきました。
まあその感想は後日にするとして、自分がゲームレビューなどと大それた事をしながらゲーム作りやゲーム業界についてロクに知らないことに改めて恥じ入ってしまった。
よく考えてみれば批評とか評論とかいうオカタイ言葉を使わないでレビューという曖昧な言葉を使ってきた理由は、自分がゲーム作りついて無知であり批評の方法論について蒙昧にあったためだと思います。
たぶんゲーム製作をしている人・・クリエイターとかから見ればスゴクあほくさいコトを私は自分のサイトで述べてきたのかもしれない。
これからはゲーム作りについて書かれた著作をちょろちょろ読んでいこう。
そうすれば多少はゲームに対する見方も変わると信じたい。
批評のやりかたについては評論技法についての本を読んでいったり、しっかりとした書評を参考にしてみるのもいいかもしれない。
ほんらいは映画批評がゲームに近いような気もするんだけど、映画はシュワちゃんしか詳しくないし。

ウィキペディアの音楽評論家にかなり興味深いことが書いてある。
>クラシックとは対照的に、ポピュラー音楽を対象とする評論家の多くは音楽を専門的に学んでいない場合がほとんどである。
>したがって実態としては、「音楽」評論家ではなく「アーティスト・ミュージシャンの」評論家といってもいい。
>すなわち、音楽そのものではなく、むしろミュージシャンの音楽に対する姿勢を評論しているのである。

これはCD(とくに洋楽)を買っている人間なら誰しも納得することだと思います。
洋楽の日本版を買うと解説のついたブックレットがついてきます。
これはアーティストの軌跡を辿りながら紹介をする内容なのだが、雑誌においても似たようなことが書かれていたりする。
音楽の批評と言いながらアーティストについて書かれているのだから不思議なもんだ。
でも世の中にあふれているレビューや私がやるレビューにそっくりだ。

これはたぶん評論家で書かれているように、評論家になる人は
「ある分野での真の専門家となることを目指したが、なんらかの事情でなれず、転じてその分野の評論家となって、その分野との関係を保っている者。
たとえば、画家を目指したことがある美術評論家など。』

が多いからなんじゃないかと思う。
この文章を書いていて不意に、おすぎが「映画評論は映画監督になれなかった人間がやるから卑怯なもの」と、昔テレビで言っていたことを思い出した。
なかなか的確な表現でありましょう。
ですから映画制作者が「おまえは映画をわかっていない!」小説家が「おまえは小説がry」、ゲームクリエイターが「おまえらはry」というのも無理はないと思います。

だけど専門性がないレビューが決して悪いとは言い切れない。
専門家が書くレビューは一定の知識や技能、つまり素養がなければ読めたものではないのです。
だから内輪話になってしまいがちだな問題がつきまとっている。
そもそもゲームレビューが確固たるものとして確立されてるのかというのも怪しいから専門的に論じる必要性は疑問だし、ゲームは娯楽なんだから娯楽として耐えうるかどうかを話すのは間違ってないと思う。
こういうレビューを求めている人も多いでしょう。
高尚なナニカをゲームに求めてもなぁ。
まあでも「おもしろいorおもしろくない」が究極の価値判断基準になってしまいそうで怖い面もあるんだけど。

私が取り入れたいのはゲームを作る際の視点です。
完全なものは不可能でしょうが、できあがったゲームを作り方から考察することで自分のレビューに何か新しいものを吹き込みたい。
そんなふうに考えております。
ゲームクリエイターが語るレビューや感想には私にはない視点があります。


本の話題に戻りますが、5月15日にでる『デジタルゲームの教科書 知っておくべきゲーム業界最新トレンド』というのは面白そうな本ですね。
買って読んだら報告いたします。





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