レビュー
表現方法はユニークだが、TPS要素はつまらない
カバーアクション型TPS
『ケイン&リンチ2』はグラフィックやサウンドといった表現方法と、自由自在に動かすゲーム要素の落差が激しすぎる。
類似のゲームが見あたらない表現は良くても、TPSとしてはかなり単調で面白くない。
まずは面白くないTPS要素から述べる。
カバーアクションを使いこなしながら敵を倒していくゲームには、どうしても単調になりがちである。
壁や車の影に隠れたりするカバーアクションは、言い換えると隠れている限り安全だ。
そして、安全に隠れながら時を見計らい、敵を攻撃する。
これを何度も繰り返すため、同じような事ばかりやっているような気分になってしまう。
単調さをなくすためには、例えば狙撃や突撃を織り交ぜてシチュエーションを変えたり、一定時間経つと敵が迫ってきたりするようにすればいい。
あとは分隊を指揮して横から攻撃ぜきるようなシステムを導入するのも良いだろう。
しかし『ケイン&リンチ2』はシチュエーション(状況)の変化に乏しい。
とりわけゲームも終盤になってくると、物影に隠れる敵、敵、敵の山で埋め尽くされてしまう。
ロケーション(風景)は頻繁に変わるのだが、戦いの状況変化についてはもう少し工夫がほしい。
前作の方が場面は頻繁に切り替わっていた。
それは前作に分隊指揮システムが組み込まれていたことも、様々な場面の創出につながっていたと考えられる。
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倉庫のシーン
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やや大ざっぱな調整
敵の攻撃力やプレイヤーの攻撃力調整も、やや考え物だ。
例えば自分が使う武器の命中率は結構低く、敵の耐久力も決して低くない。
であるから物陰に潜みながら当たりにくい武器をスパスパ撃っているような場面は多い。
そして敵の銃撃は命中率、攻撃力が難易度イージーであっても強めに調整されている。
これでは敵から集中砲火を受けているような印象を持ってしまう。
雰囲気のリアリティは抜群でも、戦闘のリアリティは削がれているのだ。
(リアルなバランスにしろと言っているわけではなくて、敵と自分がまるで異なる武器を使っているような印象をもたせたりするのがダメってこと)
次にCOOP用に調整された場面が多いことによって、一人で遊んだ場合は全然面白くなくなっているのも気がかりだ。
『ケイン&リンチ2』では露骨なぐらいに敵が出てくる。
COOPでプレイヤー二人で遊ぶから、そのぶん敵を多くしているのである。
ところが、『ケイン&リンチ2』では一人で遊んだときも敵の量が変わっていない。
本来なら二人で始末するべき敵の量を一人で掃除しなくてはならないため、物量に押されたような感覚を持ってしまう。
しかもAI操作で動く味方は無敵である反面、戦闘能力がかなり低めに作られている。
だから一人で遊ぶときは、AI操作の相棒は全く役に立たないので、敵の量が多すぎてうんざりしやすい。
(余談だが『バイオハザード5』は低難易度ならば味方が強く調整されていて、上記の問題は無かった)
プレイヤーは当たりにくい武器を使って、一人で捌ききれない敵を相手に、物陰に隠れながらモグラ叩きをすることになる。
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ヘリを使ってなぎ倒すシーンみたいな、シチュエーション変化が少ない
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残念なオンライン要素
COOPで遊べたら面白いのか、と言われるとこれまた疑問がでてくる。
なぜならCOOPにつなげられないからだ。
せっかくつなげられてもラグがきつく、ホストが落ちれば部屋がなくなってしまうという技術的な問題も大きい。
またシングルからCOOPへシームレスに繋ぐ要素もない(暇つぶしにシングルを遊びながら、相手プレイヤーを捜すなどができない)。
COOPや対戦を遊ぶ環境を整えることができていないため、『ケイン&リンチ2』のオンラインは過疎っているのだ。
雰囲気で押し切るプロット
このあたりから画面演出やストーリーの話になる。
ビデオカメラで撮ったような画面の演出は素晴らしいと述べたが、そこで語られる話の内容は薄い。
キャラクターの魅力だけで押し切っていた前作に比べると、上海の雑然とした雰囲気も加わって魅力は増した。
しかし、やはり話に深みがない。
『ケイン&リンチ2』のストーリーは要約すると、「些細なトラブルからマフィアから追わることになり、逆にマフィアを潰してやった」というわけの話だ。
ところどころに主人公の「ケイン」や「リンチ」が抱く家族への思いや、マフィアの狡猾な言動が見え隠れするものの、テーマが定まっていない。
様々な解釈が可能な作りだとも言えるが、そういう曖昧な作りは物語として不適切だ。
ある種のテーマやストーリーがない創作物は、創作物としての存在意義を失っている。
前作も今作も同じ作りのため「わざとストーリーを作ってないのか?」とさえ思えてくる。
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オンラインの一シーン。本当にやっている人がいない
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ドキュメンタリー風の良さ
『ケイン&リンチ2』では主人公のケインとリンチを、ハンディカメラで長期間追い続けたような演出方法が使われている。
これによって、主人公二人の悪逆非道な生き様をありのままにとらえたドキュメンタリーのような印象を、プレイヤーに与えることに成功した。
言ってみれば映画の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいな「疑似ドキュメンタリー」の手法である(『ケイン&リンチ2』にはあっと驚く展開が待っているわけではないが)。
私たちはドキュメンタリー映画や番組と言えば、現実をカメラで撮って後に再構成することで、断片的だった事柄が一本の線つながっているものと考えている。
上記の文章の「現実を撮って」という部分のリアリティを高めているのは、上海の風景だ。
上海を本物っぽくみせるために、人々でごったがえす上海の建物、ネオン、店、そして都会の音が丁寧に作られている。
次に「カメラで撮って」という印象を高めるのは、まるで本物のカメラで撮ったかのようなノイズやバッファ画面、カメラワークをみせる画面そのものである。
ドキュメンタリーのような臨場感や本物っぽさを生かしている点で、『ケイン&リンチ2』は唯一無二のゲームである。
カメラがグッと引いたり、ズームしたり、グラグラと揺れることで緊張感が高まるのだ。
ついでに言うと、PCと比べたら見劣りするグラフィックをごまかすこともできている。
今後同じような手法のドキュメンタリー風ゲームが出てくるかもしれない。
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まるでビデオカメラでとったような演出
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ドキュメンタリー風をつっこんで考える
ドキュメンタリーとしての『ケイン&リンチ2』をさらに考えていくと、撮影者は何者かという問題が出てくる。
プレイヤーが操っているケインやリンチがダメージを受けると、画面にブロックノイズや血痕が表示される。
このとき本来は撮影者がダメージを受けているわけではないから、これは
主人公たちの心境を表す演出と考えられる。
他にもカットシーンでは、主人公が殴り倒される場面でカメラワークも殴られたように動く。
ところが、ピッタリと寄り添っていたカメラは、物語の最後に主人公たちから置いてきぼりにされてしまう(詳しく書くとネタバレだから書かない)。
これは何を意味するのだろうか。
思うに、主人公たちは散々嫌な目にあった上海を捨てたことを、カメラに託して表現しているのだ。
人が死に、禄でもないことに巻き込まれ、本来の目的を失った最悪の「ドッグデイズ(夏の最も暑い日)」の記憶と、プレイヤーが見るビデオカメラは全く同一の物だ。
主人公たちは嫌な思い出(カメラ)を捨て去って、また違う場所へ行く。
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敵を倒す。死んだ魚の目
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テーマはない
しかし『ケイン&リンチ2』に大きなテーマがあるわけではない。
主人公たちは影の商売に手を染め、そして失敗し、後先考えずに行動を起こすだけなのである。
「無鉄砲で暴力的な男達を描いている」「これがマフィアの生き様だ」と言えば聞こえは良い。
もしドキュメンタリー番組だとしたら、テーマはなくとも普段はうかがい知れない世界の裏側を描いたこと自体は賞賛されるかもしれない。
その意味で言うと、『ケイン&リンチ2』はフィクションである。
フィクションであるから作品の価値に取材自体の賞賛を見いだすことはできない。
テーマがないために確固たる幹がない物語になってしまっている。
一つだけテーマを見いだすとしたら「裏の世界でしか生きざるを得ない男達の業」となるのかもしれない。
主人公達は足を洗いたいとも思いつつも、生活のために裏稼業を行う。
最後の仕事になるチャンスを得たとしても、やはり最後には罪を背負って生きていくしかない。
とはいえ、このような視点になってみると、開発会社のIO Interactiveは暴力的な裏仕事からケインやリンチを引退さる筋合いはなくなる。
ゲームはミリオンヒットし、映画も制作されるフランチャイズを終了させるのは会社にとってばかげた選択だ。
つまり創作物の製作者が、創作物で描かれる人物の不幸をダシにして作ることになってしまう。
そういう意味で、会社の移行に翻弄されるケインはいつの日か足を洗ってほしい、と私は願っている。
いやむしろIO Interactiveが救いのある物語を作ってくれなければ彼らが不幸すぎる。
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画面に血がついたりすることで、主人公の心境を知ることができる。ドキュメンタリーではこのような映像の加工をほどこすことで、視聴者に「雰囲気」や「空気」を伝える。単に撮影するだけではニュースになってしまう。ドキュメンタリーとは言えない。とはいえ、単にFPSは敵で使われるダメージ表現をTPSで使いたかったからドキュメンタリー方式にしたとも言えなくはない。
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