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2010年 12月29日     日記の意見感想はこちら 
言ってなかったけど、1/4まで休みます。
年末年始の休みと言うことで。

ニコニコ動画をみたらシティハンターのエンディングがブームになっていて驚いた。
アニメや漫画を読み返したくなりますね。


2010年 12月25日     日記の意見感想はこちら 
Dragovich...Kravchenko...Steiner...All MUST Die


コメントもカオス状態で面白い。


2010年 12月24日     日記の意見感想はこちら 
チートをする奴には二通りいる。

1.堂々とチート
完全に遊んでいるだけ。
だから対処はしやすい。

2.こっそりチート
傍目から見るとチートしているとは気づかないのがこれ。
ばれてないと確信しているからか、堂々と大会に出場もする。
最も厄介。

3.言い訳チート
チートに近い行為を「これはチートじゃない!」といいながら使う人たち。
連射ツールやスキン変更はこれ。
確かめる手段がかなり少ないため、これも厄介。


2010年 12月23日     日記の意見感想はこちら 
[News] マウスとキーボードでXbox 360が操作できるようになるアダプター「XIM3」

この商品が本当にモノになっているとしたら、XBOX360をメインにFPSをやるのもいいかもしれない。
とはいえ、マルチプレイでは明らかに「強すぎる」。
これでは一種のハードウェアチート状態。
対戦は慎むべきだろう。



[News] 【島国大和】重厚長大なゲームは滅びるか!?

>自分は,ゲーム開発者である前に,一ゲーマーでもあると思っています。
>そしてゲーマーの立場からいうと,いろんなゲームが遊べる状況が望ましいんですよね。
>ファーストフードも食いたければ,老舗の味も堪能したい。町の惣菜屋も捨てられぬ。
>ゲーマーとしての本音を言うとそんなもんです。

アメリカのゲームは重厚長大型ゲームの最先端を行っている。
日本のゲーム会社は大きく離されてしまっている。
これは技術的な問題から始まり、制作の組織構造の違いも手伝って、埋められない差になってきていると思う。
ということはアメリカさんは「莫大な投資をして大作を売る」ことに特化してほしい。
たとえ大変でも、今のところアメリカにしかできないゲーム作りだから。


2010年 12月22日     日記の意見感想はこちら 
ペットボトル入りのチューハイは流石に自粛したほうがいいよな。
どこからどうみても炭酸ジュースにしか見えなかった。
でっかく「これはお酒です」とは書いてあるけれど。

小さい頃、私は炭酸飲料を飲めなかった。
たまにジュースを飲む機会があっても、炭酸は避けていた。
だけど、一回表示を見ないで飲んだら見事炭酸だったことがある。
咳きこんでつらかった。

チューハイの表示は今のままだと、私が小さい頃炭酸で味わった経験と似たようなことを引き起こしかねないと思う。
ジュースと間違えて酒を飲んでしまった子供は少なからずいるのではないだろうか。
(まあ少しくらい飲んでもどうってことないが)


色々。

韓国産ゲームが日本市場を考える限り、発売前のFF14は驚異的なライバルでした。
Aionが2009年にサービスを開始し、TERAは2011年サービス開始に向けては長い時間をかけて練り上げる方針を取りました。
FF14は2010年発売と言うことで、ほぼ一年ごとに大作が出ている計算になります。
しかしFF14は致命的な欠陥だらけの未完成品でした。

これからサービス予定のTERAはライバルの動向を気にすることなくバランス調整・ローカライズをするのでしょうね。
MMORPGは、グラフィックが同世代との水準と比べて劣化しようとも、ゲームバランス等の調整に時間をかけて作らなければならないと思います。
普通のゲームと比べると長時間遊ぶわけですから、それだけ綿密な計算と調整がなければユーザーは飽きてしまいます。
それこそ未完成品を世に出すのならば、ずっとベータのまま調整を行っていた方が良い。
または、完成させられる予定が立たなければ「出さない」という選択肢もあり得ると思うんです。
腐った品物を出されるぐらいなら、出されない方がマシです。

FF14はスクエニの失態として末永く語り継がれるべき。
そしてFFブランドは乱発の末、ナンバリングタイトルで完全に終わった。


2010年 12月21日     日記の意見感想はこちら 
来年の一月に『ルールズ・オブ・プレイ』という本の訳書が出るらしい。
ゲームのルールを考えていく論文集だとか。

先々週にNHKで「ゲーム革命」が放送されたとき、割と批判的な反響が多くみられました。
特に目立ったのは、海外企業のやり方を褒めていて日本企業のやり方を褒めていないというもの。
どちらのやり方にも長所はあるので不愉快に感じた人が多かったようです。

ここで言う海外企業のやり方とは「ゲーム作りのノウハウを蓄積し、時には科学的に考える」方法です。
一方の日本企業は「職人的な直感と緻密な作り込みを行う」やり方です。

考え方の違いは書籍の数にも表れています。
ゲームデザイン関係の書籍は洋書の方がはるかに多い。
日本語で書かれたバイブル的な本は驚く無かれ、ありません。
(「ゲームシナリオライターの仕事」、「ゲームデザイナーの仕事」は良い本だけど、なぜか絶版中。)
専門学校や会社ごとに極秘の資料はあるかもしれません。

まあこういうところに考え方の違いが色濃く出ているのだなぁと感じます。
個人的にはアメリカのように、「誰でも作れるやり方のようなものを作って公開する」やり方に共感を覚えます。
アメリカは学校教育であれ、なんであれ、ノウハウをきちんと言語化していく風習があります。
多彩な国籍をもつ人々が集まる国だからなのかもしれません。
バックグラウンドが違うために、言葉がコミュニケーションにおける命綱となります。

しかし日本は、わざわざ言葉にしなくても自分の意見は他人に伝わってしまう。
普段の生活でさえそうなのだから、教育・経済活動に関しても同じようなものでしょう。
「ガンコな職人」を殊更に持ち上げる風潮もある。

マーケットが広くなればなるほど「日本人の中でウケる要素」を理解できない外国人は増え、結果的にシェアは落ちていく。
自分達にしか分からない、理解できない、好きになるものを作っていればそうなります。
日本のゲーム企業が海外企業の勢いに飲み込まれているのは、至極当たり前のことだと思います。


2010年 12月19日     日記の意見感想はこちら 
eスポーツへの覚え書き

先週から書いてきた「ゲームバランスへの覚え書きシリーズ」にも関係する内容。

『eスポーツ』という言葉で示されるものは、実のところ二種類ある。
一つは賞金がかかったリーグ・トーナメント形式の大会といった、勝ち負けを競うものである。
もう一つは賞金の有無にかかわらず、対戦を通じてレクリエーションを行うもの。
これはスポーツという単語の意味にも沿っている。
スポーツには勝敗を決めるものと楽しく遊ぶものの二種類がある。
同じく『eスポーツ』も二つに分けられる。

ところが日本で『eスポーツ』と語られるとき、前者の「競技的スポーツ」の意味で使われることが多い。
また、賞金がかかった大会やさらには会社と契約して活動するプロゲーマーの存在もついてまわる。
eスポーツ普及活動をしている人たちは、主に大会運営やスポンサー探しを目標にかかげている。

ここにそもそも「競技的eスポーツ」は普及するのだろうかという問題がある。
私は「プロ大会は非現実的」であるので、「賞金目的ではない大会」なら成立すると考えている。
つまりプロゲーマーでなくとも、アマチュアが集まって大会をすればいいのではないかと思っている。
なぜなら、プロゲーマーへの道のりは非常に険しいからだ。
テレビ放送などで露出を増やし、スポンサーを見つけ、大規模な大会で優勝する権威を固定化し、選手にはじゅうぶんに生活していくだけの給与を与えなければならない。
難題が多すぎる。

一方、「賞金目的ではない大会」ならば成立しうると考えている(もちろんスポンサーからの現物支給などはあっても良い)。
ユーザー同士が自主的に行う大会であっても、競技性を損なうことがないからである。
ゲームセンターでユーザーが店を働きかけて対戦大会を行うのは典型的な例と言える。
さらには昨今はインターネットを使った対戦があるので、家にいながら大規模なトーナメント・リーグ大会を参加・運営できる。
オンラインゲームでは、運営チームがコミュニティを元気づけるために大会やイベントを行うことが多い。
情報交換が活発なゲームになれば、有志があつまって自主的な大会を開くことも可能なぐらいである。

要するに興業としてプロゲーマー活動を生み出さずとも競技としてのeスポーツは成立するのだ。


『eスポーツ』というときには、もう一つのレクリエーションという意味もあると述べた。
これはビデオゲームが本来もつ「ゲーム」の意味と非常に近い。
というかゲームそのものである。

しかし残念なことに『eスポーツ』という言葉には競技性がつきまとっている。
だから、『eスポーツ』の推進者はゲームを楽しむことをもう少し発信しても良いのではないかと思う。
競うことだけでなく、楽しむことを伝えるのも大事である。
典型的な例だとスポーツ選手が引退後に子供向けの「教室」を全国各地でやっている。
これは楽しむことを伝えるための機会である。



試合と戦術

某Tなんたらというつぶやき装置で荒れた話題を目にしたので、少しだけ書いておく。

オンライン対戦では試合を記録するためのシステムが備わっていることがある。
特定の試合をデータ化して後に見返せる画期的な技術だ。
『コールオブデューティ ブラックオプス』はこの機能がマルチプレイ対戦に標準搭載されている。

だが、このような機能を嫌う人もいる。
簡単に言うと「クラン戦のデータが残っているので、長い時間かけて考えた作戦が相手にまねされる」というもの。
たびたび見かける発言である。

ではこの発言は正しいのだろうか?
私は正しくないと思う。

というのも、試合というのは自分と相手の戦術や技能を素っ裸にすることを意味している。
だから当事者だけでなく第三者へも、すべてがひけらかされていなければならない。
そのような戦術や技能を鍛錬するのが練習である。
練習は、秘密にされてしかるべきである。
なぜなら練習のやりかたが「差」を作るものである。
練習の結果を見せるのが試合だ。
試合で披露される結果から、練習の内容を推察するのは自由だ。
サッカーの試合で練習は取材禁止でも、試合は放映可能である。

キャッチアップする方が楽というのも、公平性を重視する競技では当然のことである。
互いに切磋琢磨して高い次元へ上り詰めていくのが競技だ。
ついでにいえば、広く公開されていることでチートをしているかどうかの判断基準ともなりうる。

これは市場競争とはまったく違う。
市場における著作権・特許権の存在は、さきほどから述べてきた「試合を記録するためのシステム」を意図的に取っ払い、発明した人を保護するためにある。
つまりキャッチアップを阻止するために存在する。
市場競争は結果を出した人や集団が、自分達よりも下位の集団を作ること(=不公平性を生み出すこと)で成り立っている。

したがって「ゲーム内容を記録する機能」は試合においてはなおさら必要である。
それが公平性・競技性を指向するものであればなおさら不可欠だ。


2010年 12月18日     日記の意見感想はこちら 
東京都の条例で漫画がやり玉に挙げられています。
敢えて厳しい言葉を投げかけると、「攻撃されるのは当然」だと思うんですよね。

18歳未満でも購入できる漫画でよからぬ描写がされているというのはずいぶん前から言われていた。
その時点で出版社は有力な政治家なり、法律の専門か顧問に迎えてレーティング機関またはゾーニングの徹底を行わなければいけなかったのです。
これは「自衛のための手段」です。
自分達を外圧から守るために予め対策をしておかなければならなかった。
漫画出版社はきちんとやってきたのでしょうか。
もしかして芸術として認知されている小説と同じように、表現の自由を盾に戦えると思っていたのでしょうか。

映画でも何でもそう。
ゲームのレーティングは消費者のためにあるように見えますが、実際はゲーム業界が残っていくための手段です。
ですから、「『コールオブデューティ:ブラックオプス』は人を斧やナイフで刺し殺す場面が多く暴力的だ!子供達に悪影響!」という批判があっても反論は簡単です。
「18歳未満購入不可のゲームなのにどうして子供達に悪影響なの?」と言えば済む話。

あとはアメリカの銃規制についても話をしておかなければならない。
銃を使った犯罪・事故が起きるたびに銃規制の話が持ち上がります。
しかし銃規制が実現されたこも、されそうな気配もない。
その理由は思想的な背景をべつにすれば、軍産複合体によってアメリカは巨大な利益を得ている。
また、政治へも関与しているわけです。
日本ではパチンコが規制されないのだって、後ろ盾を得た政治家と、莫大な経済規模を盾にできているわけです。

表現の自由を守るためにあらゆる手を尽くした方が良い。
ゲーム業界では『CERO』が割と良い仕事をしていると思うんですよね。
ちょっとレーティングは厳しすぎる面もあるかと思いますが、ゲームへの攻撃はずいぶんと回避できています。



自分の好きな銃→UZI、MP7

たぶん形を見れば、この二つを挙げている理由を納得していただけると思う。
古い時代を舞台にするFPSはUZI、最新兵器のゲームではMP7が大抵は出ている。

しかしCOD:BOのUZIは暴れ馬すぎて困る。
たぶんあのゲームで最も反動が強い銃。



COD:BOと言えばこの二つの曲が定番になると思う。


↑の曲はシングルでもマルチでも印象的な使い方がされている。


↑の曲はマルチプレイをやっていると散々聞くことになるメインテーマ。

Treyarchの作るCODシリーズは力強い音楽が戦闘の雰囲気を盛り上げてくれる。
InfinityWardが多用してきた壮大なオーケストラ調ではなく、打ち込みっぽい音も使った緊迫感のある音楽が印象的。



そういやCOD:BOの感想をまったく出していなかったので、少しだけ書いておこう。

シングル
とても凝った作りの展開。
CODシリーズで一番綿密に計算されたシナリオだと言ってもいいぐらい。
ただし懲りすぎている。
ここまでくると、かなりくどい。

それと話を最後まで終わらせても謎が解決しないばかりか、どんどん謎がふくらんでいく仕様になっている。
こういうのはあんまり好きではない。

マルチ
4、WaW、MW2と続いてきて流石に皆さん飽きてきた模様。
発売当初と比べるとユーザー数が激減している。

それ以外に感じるのは、FPS慣れしていないと相当難しいゲームシステムになっていることだろうか。
マップが狭くリスポーンが乱れることが多いので、常に敵の位置を考えながら対戦しなければならなくなっている。
また、直線的なマップによって「純粋な撃ち合い」を要求される場面が非常に多い。
そのかわり広い場所が少なく、おこぼれキルを狙えない。
ということは初心者は流動性があるマップで高度なエイムを駆使しなければならない。
しかも実力がそこそこあるプレイヤーが日夜遊んでいて、レベルによる武器・装備アンロック要素もある。
かなり初級者には酷だと思う。
一応CPUを入れて練習モードがあるので、対戦の練習をすることはできる。

あと『PS3、XBOX360版』とPC版は別物と言って良い。
実際にやってはいないが、動画を見る限りゲームスピードが全く違う。
PC版は照準をあわせるスピードが早いために、全体的な展開が早い。
キャンプをしているプレイヤーが殆どいない。
というかキャンプでもしようものなら、たちまち戦闘場所から離れてしまって効率が悪くなる。
またキャンプ場所に入り口が多くて潰されやすい。
一方、ゲーム機版は(他人のプレイ動画を見ている限りは)待ち構えているプレイヤーが多い。
これはコントローラーでゆったりと照準をつけるからです。
PC版ならば、「ダッシュ→ジャンプ→伏せ」でキャンパーを攪乱して倒すこともできます。

まあでも、定点キャンプが一番効率的にスコアを稼げるのも確かです。
稼いで稼いで、最後はキルストリーク発動で上空からミニガン乱射ではいオシマイというプレイです。
異常に成績の良いプレイヤーはそういう「ガチプレイ」をやっています。
でも楽しくないですよね。


2010年 12月15日     日記の意見感想はこちら 
ブラックショットが昨日いっぱいで終了か・・・。

このゲームに特別思い出はないのだけれど、何か一つのゲームが終わるときはどことなくはかないと感じます。
というのもオンラインゲームはゲームを提供するだけでなく、そこにコミュニティを自然に発生させたり、何時間も何百何千人も遊んだ経験が蓄積しているからです。
よく利用するお店が閉店するのと同じようなものかもしれません。

更にオンラインゲームはデジタルデータですから、一瞬にして消え去ってしまうような印象があります。
スイッチ一つで世界が生まれ、消えてしまう。

月並みな言葉になりますが、オンラインゲームの中で生まれたものは遊んだ人たちのなかに溶け込んでいってしまうのでしょうね。
そうじゃなければゲーム終了直前にコアユーザーが自然と集まって「これまでのねぎらい」をすることもないと思います。
思い返すことで心の中に整理をつけるというか。


2010年 12月13日     日記の意見感想はこちら 
カウンターストライク オンライン

のゾンビモード。

『カウンターストライク オンライン』はゾンビモードを楽しむゲームだと思う。
オリジナルルールは人数の関係でろくに遊べないし、カウンターストライクは元々チームデスマッチ向けではない。

まともに遊ぶにはおすすめしないけれど、リラックスして遊ぶにはちょうど良いモードですね。
ただし本気で勝利を目指そうとすると「有料アイテム必須」になる。
そこまでして遊ぶ価値があるとは思えない。
あくまでもお祭りオマケモード。


マルチプレイモードで「名前」を消している理由は、自分の名前を出していないからというのがある。
自分のキャラクター名を出さないのに他人のを出すのは不公平。
あとは人の名前が出ているのが好きではないという理由もある。




2010年 12月12日     日記の意見感想はこちら 
『コールオブデューティ ブラックオプス』で最も評価されてしかるべきなのは、UZIがふつうのUZIであることだと思う。
なんでか知らんけど、FPSではmini-UZIやmicro-UZIが使われていることが多い。
普通のUZIを使えるゲームが意外と少ない。

それと訂正。
このゲームで出てくる『コマンドー』はアメリカのコルトM4という銃でした。
スイスSIGの銃ではなかった。



NHKの「世界ゲーム革命」で、Quake3(QuakeLiveかもしれないけど)が写っていた。
筋金入りのゲーマーが友人と遊ぶシーンでちらっと見えたね。



カウンターストライク オンライン

昨日というかもうCSは古い。化石。遺物と書きました。
ホントそうだと思うんですよね。
グラフィック、操作感、グラフィック設定など、現在のゲームから見ると質が落ちるにもほどがある。
特に昨今は「コールオブデューティシリーズ」や「バトルフィールドシリーズ」の新作がどんどん発売されているわけで、常にユーザーの意見を取り入れて素晴らしいゲームへと作り替えられています。

ここ2000年代のアメリカ製ゲームの発展には目を疑うほどの勢いがあります。
2006、2007年のあたりのゲームはXBOX360という(当時としてはハイスペックの)ゲーム機の影響や北米ゲーム産業の活性化を受けて、驚くべき進化を遂げている。

昔と今を同列で語るとき、過去のゲームは往々にして低質であると言えるでしょう。
それがここ5・6年で劇的に起きている。
(PCゲームだと2004年のFarcryあたりから始まり、ゲーム機はやや遅めの2006年にギアーズオブウォーあたりでコロッと変わってしまいましたね)

『カウンターストライク オンライン』をやっていると以上のようなことを強く感じます。

2010年 12月11日     日記の意見感想はこちら 
カウンターストライク オンライン

今週10時間ほどプレイ。
そろそろレビューでも書き始めようかと思っています。
今日は感想を少し書いておきます。
以下略してCSOと呼びます。

CSOはカウンターストライクをオンラインゲーム化したというだけあって、カウンターストライクそのものです。
やや仕様が違っていたりしますが、まあほとんど同じと言っても良い。

私がすぐに気づいたことはユーザーの分断です。
オリジナルモード(元々のルール)で遊ぶ人、ゾンビモードで遊ぶ人、カジュアルサーバー(操作が楽なサーバー)で遊ぶ人。
徹底的にユーザーが細分化されています。
一見するとニーズに合っているように思える。
良いこともあるし、悪いこともあるでしょうね。

それよりも気になるのは、普通に満足に遊べる場所が少ないことです。
オリジナルモードで、それも人数を絞っている部屋が本当に少ない。
大抵はゾンビモードだったり、30人もいれてお祭り騒ぎをやっていることばかり。

いや、一応12人や10人でオリジナルモードを回している部屋もあるのです。
しかしそれは、いわゆるカウンターストライクに慣れた人たちのためのノーマルサーバーでの話です。
ついでに言うとクランで固まっているため、クランに所属していない人にはかなりキツイ。

CSOがクソであるか、そうでないかの意見を分けるのは、以上のことに関係しているのではないかと予想しています。
ゾンビなどのお祭りゲームが好きならばクソには感じない。
逆にお祭りゲームが嫌いな人はクソに感じる。
またクラン等へ入っている人は、常に「オリジナルな遊び方」ができるために、元のカウンターストライクと同じように遊べるでしょう。
しかし気軽に遊びたい人にとっては、オリジナルで遊べる機会が驚くほど少ない。

あとは、サーバーが相変わらずガクガクしています。
特に銃を発射したときの挙動がヘンテコでストレスがたまりやすい。

まあゾンビモード目当てに遊ぶのは良いと思います。
普通にFPSをやりたいのなら他のゲームをやった方が良い。


CSOの情報をあさっていて気になったことをいくつか。
・「野良・クラン」という棲み分けの気持ち悪さ
・相変わらず存在するCS信者サマの偉そうな発言
・というかもうCSは古い。化石。遺物


画像はサッカーモード。
なんとまあサッカーが遊べます。
 



2010年 12月9日     日記の意見感想はこちら 
FF14

FF14の惨状を見ていたら、スクウェアエニックスにはもうゲームを作れる人がいなくなってしまったのではないかと感じます。
基本部分であるインテーフェイスすら満足に作れない。
グラフィック等の技術的にも世界のトップから離されている。

こうしてFF13ヴェルサスにも不安を抱いてしまいます。
プランナー募集でしたっけ。
しかも待遇があまり良くないという。
スクエニはもうだめかもね。

[News] 12月12日 NHKスペシャル 世界ゲーム革命

>先端科学や軍事技術までも応用し、急速に進化をとげるゲーム開発の最前線とその未来を見つめる。 放送は
2010年12月12日(日) 午後9時15分〜10時04分
総合テレビ

だそうです。ビデオゲーム好きならチェックしておきたいところですね。
おそらくビデオゲームに興味がない人でも理解できるような放送をします。
世間からどう見られているのかが分かるかもしれない。


2010年 12月8日     日記の意見感想はこちら 
「プレステ3はなぜ失敗したのか?」と言う本を斜め読みしたのだけれど、まあ大したことは書いてないわな。
ブックオフで100円が付けられていてしかるべき本。
特に第三章が無理にPSをこき下ろしているのがね、どうもね。
他の章はわるくない。
PS3が迷走している理由を丁寧に描き出していると思う。
ただ、2007年の本だから今とは情勢が異なってきている。


話を現在に振り向かせると、現在PS3がXBOX360に追いつきそうな勢いで売れている。
これは「プレステブランド」の強さを示しているのだろうか。
それともブルーレイディスクが普及するにつれてPS3の魅力も上がってきているのだろうか。

理由が何にせよ、PS3とXBOX360はかなり「同じような製品」であるために、最終的に売り上げ台数はほぼ同じになるような気がします。
ということは次世代のゲーム機(PS4やXBOX”3”)がゲーム業界の大きな分水嶺となるでしょう。
おそらく、MSもソニーも他社には搭載できない機能を絶対に付けてきますから。

あとゲーム機の外から、iPhoneやソーシャルゲームというものが忍び寄っています。
次世代には初代PS以来の据え置きにおける大きな変革が来るでしょうね。


2010年 12月7日     日記の意見感想はこちら 
[News] 「もしドラ」ダントツ1位 強かったダイエット本 書籍年間ベストセラー

ニュース自体はちょっと古いけど。

>(6)「ポケットモンスターブラック・ホワイト 公式イッシュ図鑑完成ガイド」
大人気ゲームの攻略本は未だにベストセラーになったりします。
宗教法人のお偉いさん二人の著書よりも売れていますね。



昨日ブラックオプスのマルチで変な試合に遭遇した。
たぶんあるあるネタ。

ルールは「ドミネーション」。
マップのあちこちに置かれている「陣地(旗)」を取り合うルールです。
このルールは敵を倒すだけではなく、「陣地(旗)」を取るために突撃しなければなりません。

で、自分のいるチームは積極的に「旗へ突撃」する人が多くいました。
反対に敵チームは上手い人が多かった。
しかし相手チームの上手い人たちは「旗へ突撃」しなかったのです。
結果、こちらは相当押されていたものの、試合には勝ちました。

よくいるキルレート主義者・キルデス主義者が敵チームにたくさんいた、というわけです。

キルレート主義者(蔑んで言うとキルデス厨)とは、自分のスコアだけを高くすればいいと考える人たちです。
チームが勝とうが負けようが知らない。
味方は自分が敵を倒すための「おとり」であり、「肉壁」だと考えるようなジコチューのことであります。

こういう人たちがなぜ出てくるのかと言えば、自分の累計スコアが保存されるからです。
つまり、体裁を良くみせるために死にやすい行為(例えば旗へ突撃など)をやりません。
特にキルデスという言葉は韓国製のオンラインFPSで使われる言葉です。
オンラインFPSにはキルデス主義者が多い(自分のスコアが全ユーザーに公開されているからです)。
弱いチームならば途中で抜ける、強い人と同じチームになるように「チーム移動」をする、味方をエサにして自分だけが敵を倒す、等々。

キルデス主義者は確かに上手い人が多い。
しかし、それは個人としてが上手いだけであって、チームのプレイヤーとして上手いかどうかとはまた違います。

画像はシングルプレイのです。話題とは関係ないですね。




2010年 12月6日     日記の意見感想はこちら 
ゲームバランスについての覚え書き3

昨日グリッチがどうのこうの言ったけど、実際にはずいぶんと混同して使われる。
というのもチートにはズルという意味や、ハックにはクライアントのハックという意味に取り得るから。

グリッチ、つまりシステムの欠陥をついた行為は使って良いのだろうか。
これはゲームによって異なる「暗黙の了解」によって左右されます。
使って良いバグ、ダメなバグは、プレイヤーの間で自ずと分けられていきます。
禁じ手かどうかは雰囲気で判断するしかありません。

これは常識という言葉と似ている。
法律や規則として明言されていないけれども、守らなければならないこと、知っていなければならないことがあります。
それが常識です。

誰もが「使ったら有利になるのは分かっていても、決して使わない」ことが禁じ手になっていることが多い。
だから、暗黙の禁じ手や了解を使ったとき、使った人は大きな利益を得ることができます。
対戦ゲームならば勝つことが楽になるのです。
使えば楽に勝てる、負けない、相手に不快な思いをさせる・・・。
グリッチはこのようなことを引き起こします。

ところが、中には「使わないで楽しむ」ことが分からない人がいます。
つまり自分が試合に勝てさえすれば楽しいと考え、ルールとして書いてないから何をやっても良いと考える人たちです。
勝てれば楽しいのは当たり前。
(余談だが、勝ったら楽しくなることは、常に負けている人がいるから成り立っている事実に気づかない人がいる
対戦ゲームのレビュー等で「慣れたら無双できて楽しいですよ」と書く人が時折いるのです)
ですが、負けても楽しく遊べるのがビデオゲームで行われる遊び(ゲーム)はないでしょうか。
勝ち負けを競う競技や大会ではないのです。


[News] 韓国CJ Internet/GameHI、「サドンアタック」アップデート発表会を開催

まあおおむね良いアップデートだと思います。
ただし「まず、第3弾では、新マップが追加される。新マップは背景や舞台は異なるものの、「Counter-Strike」の人気マップであるde_dust2と似た構造を持つマップだという」という一節が気になる。
モロパクリをするからいつまでたっても韓国製オンラインゲームは蔑まされるのだと気づくべき。
まあ、コンセプトを受け継いだ別マップだとしたら良い。


今日の更新

Sting(スティング):PC/2010年/スコア24)のレビューを追加です。
旧STINGのレビューをしてから一年半、新生STINGも中止することが決定されました。
レビュー記事からは、ベータテスト時、また旧STINGのベータテストレビューへと移ることもできます。


全然関係ないのだが、日記はブログのように記事ごとのリンクを作っていないので、過去の日記への直リンクができなくて困ることがある。
たぶん他の人が引用するときも面倒だと思う。
ムーバブルタイプとか走らせる気はないし、どうにもならないものか。
ツイッターは過去の発言を追うことがムズカシイから却下。
ということはトップページをブログ(のようなもの)にするべきなのか・・・。


2010年 12月5日     日記の意見感想はこちら 
こち亀172巻の雑感

こち亀新刊が出たら少しだけコメントすることにした。
日曜日はどうせ話すことないし。
コラムにしようか迷ったけどやめた。

172巻はオチのない話が多い。
また絵が安定していない。
特に横顔が・・。
昨今は質が上昇しかかっていたけれど、かなり悪い兆候だと思うなぁ。

ただ、「闇に流れる声」という話は興味深い。
秋本治はラジオのヘビーリスナーで、連載の初期にはラジオつながりの人物から巻末の解説を書いてもらったりしていました。
ネタもラジオつながりが多かったように思えます。

時代は変わり2000年ともなると、ラジオはテレビやインターネットによって片隅に追いやられています。
しかし秋本治はラジオを聞き続けていた。
だからラジオの面白さを「闇に流れる声」で両津に語らせるわけですが、かなり力がこもっているんですね。
「宮谷一彦」という忘れ去れつつある漫画家の漫画を引き合いに出してもいる。

この「宮谷一彦」と言う人の漫画は知らないのだけれど、ネットで絵を見る限り、タッチが凄く濃い。
当時の劇画の勢いを感じさせます。
で、秋本治は劇画を描いているのです。
デビュー前の「平和への弾痕」という作品です。
また、こち亀の連載初期は劇画タッチな雰囲気が満載でした。
それなのに破天荒(というか今から見ると相当ヤヴァイ)なギャグマンガというギャップ。
ここらへんがウケのだと思います。
そして30年たつと、今では線も細くなり、当時の面影は全くない。

「闇に流れる声」、オチがありません。
たぶん尺が短すぎるのが原因でしょう。
月刊誌に一挙50頁ぐらいで出せば、もっと面白い話になったはず。
惜しい話でした。


ブラックオプスのシングルをクリア。
あれだ、あれ。
一回やると満足。
でも攻略しがいのある面白い場面が少ないので二回目やろうとは思いにくい。

んで、COOPのオマケモードを何度かやってみた。
俯瞰視点のアクションシューティングゲームです。
(もうひとつゾンビモードもある)

これ五回ぐらいやったら飽きます。
いつも同じように敵が出てくるのを倒すだけという展開だからです。
気晴らしにやるにはいいかも。




覚え書き

たぶん知らない人もいるので。

チート、ハック、グリッチの違い。

チートはクライアント改造で大暴れする行為のこと。
オートエイムや無敵がこいつ。

ハックはサーバーをぶっ壊すこと。
プレイヤーが一斉に死んだり、自分のキャラが勝手に動き出したらこれかもしれない。

グリッチは、ゲームシステムの隙間を使った卑怯な行為。
バグ利用の技とかはこれ。
ストリートファイターの空気投げ、格闘ゲーム全般に存在する永久コンボはこいつ。

2010年 12月4日     日記の意見感想はこちら 
FPSの大会では爆破ルール(Search and Destoryとも呼ばれている)が使われるのはどうしてなのだろう。
Counter Strikeの流れを受け継いでいるからなのかな。
他にも色々なルールがあるCall of Dutyシリーズの大会も爆破ルール採用。

ほんともったいないと思うんだよね。
チームデスマッチや、キャプチャーザフラッグなどのルールで大会を開いたら良いのに。
Call of Dutyシリーズは爆破ルール以外のルールに向いているマップが多く(特に新作のBOは)、やらないのは損ですよ。

まあどのように遊ぶかはユーザーの自由です。
でも、開発チームの意図を汲み取って遊ぶことも、ユーザーのやるべき事だと思うんだよね。
デモリッション、ドミネーションも面白いですよ。

[News] ウィキリークスの内部は恐ろしいくらいカッコいい 完全に悪の秘密基地だこれ

これがCrysis3の画像ですか。
さすがPS4だな。
実写と間違うレベル。

[News] 満を持して動き出した「TERA」,日本運営プロデューサーが語る次世代ゲームの魅力と国内展開

MMORPGは大作だけ追っかけていこうと思っている。
FF14はベータテストだけやったけど、やる価値なしの駄作だった。
どう考えても未完成品。

『TERA』は個人的にはかなり期待している。
というのもこれは「リネージュ3」とも言うべきゲームなのです。
簡単に言うと、リネージュ3の制作が空中分解してしまったため、主要メンバーが独立し、新たに作っているいるのが『TERA』。
ですから韓国のゲームとしては最も出来がよい部類に入ると言えます。
まあ正式サービスしたら一ヶ月ぐらいやると思う。

あと別会社の『Blade&Soul』はそこそこ期待している。
これも面白そうなんだけど、絵が好きになれないのが問題。

ゲームバランスについての覚え書き2

開発者の手を離れた後ユーザーによって作り上げられるバランスは、面白いか面白くないかは別物です。
やりこめばどのようなゲームも面白くなるのは確かですが、やりこむことで底の浅さが露呈し、つまらなくなるゲームもあるわけです。
また、ゲームのバグやシステムの盲点を利用した「必勝テクニック」が広まることでクソゲー化することもあるでしょう。

つまりユーザーに任せておけば素晴らしいゲームになるとは言えない。
典型的な例として『Sting』というオンラインFPSの話をします。
『Sting』は、ゲームの設定を自由にいじって遊ぶことができました。
ですからユーザーが色々な設定で部屋を立てて、そこでみんな集まって遊んでいたわけです。
普通に考えるとユーザーが素晴らしい調整になるようなバランスを思いつきそうな気がします。
ところが『Sting』は違っていた。

『Sting』において選ばれていたユーザーセッティングは、競技性も奥深さもないようなものでした。
具体的には、マップのキャパシティを超える大人数で対戦を行い、一発でも敵に当てれば倒せるように体力を低くしたものばかりだったのです。
これでは厳密さは完全になくなってしまいます。
ユーザーまかせにすると思わぬ結果が生まれます。
『Sting』は悪い方向に向かっていったのでした。

さて、そうなると開発会社はどうすればよいのかという問題が浮かび上がってきます。
まずはバグやシステムの盲点をつぶすことが先決です。
明らかな欠陥はつぶさなければなりません。
ただし、ゲーム自体を頻繁に弄ればいいのかは、「場合による」としか言えない。

ユーザーって本当は微妙な変化すら嫌っているのだと思うんですよ。
インターフェイスが変わったりとかのわずかな変化であっても、あまり好まれない。
で、「変わってほしい!」と言われるのは不便なところ、欠陥があるところなのですよね。
「出来上がってしまったゲームを変更すること」は避けた方が良い。
前のバージョンの方が面白かったと考える人が大勢出てくることもあるわけです。
もし、抜本的に変えるのならば、それは発売前にやるべきです。

ちなみになぜこのようなことを言っているのかというと、ビデオゲームというのは、そこに一つの世界を創っているからです。
マイクロソフトエクセル・ワードのように、使われるためのソフトウェアではありません。
そこにある世界「で」遊ぶためのソフトがビデオゲームです。
ですから、世界が変わってしまうようなアップデートは、ビデオゲームにおいては負の作用を及ぼすのではないでしょうか。
好きなものが蹂躙されてしまった感じを覚えると言い換えれば分かるかもしれません。
MMORPGでレベルが強制的に下げられる・・とか、とうにクリアしたダンジョンのアイテムドロップ率が引き上げられる・・とかね。
「俺の努力はどうなってしまったんだ!無駄だったのか!」と感じさせるような、現実に引き戻すようなイメージです。

コールオブデューティ ブラックオプス

ヒャッハーーーーー!!ベトナムは地獄だぜえええええええええええええ!




2010年 12月3日     日記の意見感想はこちら 
COD:BOが日本で20万本程度売れたらしい。
せめてこの2倍はないとFPSは市民権を得られないだろうなと思う。
CDや書籍も含めると、じゅうぶん売れている方だと思うけど。

ちなみにときメモは50万、サクラ大戦は30〜40万。

Black Shot(ブラックショット)(機種PC)レビューを改訂しておいた。
サービス終了なので雑感を書いてあります。

んで今後の予定。

『戦場のカルマ』レビューの改訂。
Sting、Counter Strike Onlineのレビューを書く。

そしてCODMW2、CODBOのレビューを書く。

Stingは来年初めに終了予定なので、さっさとやっておきたい。
あと年末までにはもう一つか二つのゲームをやり終えればいいかな、と思っています。

コールオブデューティ ブラックオプス

ようやくシングルを始める。


謎がだんだんとほどけていくサスペンス調のゲームデザインとなっていて、コールオブデューティっぽくないですね。
クリアするまではネタバレを避けた方がよさそう。

難易度ハードでやり始めたのだけれど、「ハードにしては」結構難しいかも。
もうひとつ上の難易度もある。




2010年 12月2日     日記の意見感想はこちら 
コールオブデューティ モダンウォーフェア2をクリア。
気合いを入れてやったらすぐ終わった。
なんかストーリーが無理矢理というか、整合性がないというか。
もう少し何とかならなかったのかと思う。

ゲームバランスについての覚え書き1

前回書いたことに似ているものから始めます。

ゲームの遊び方、あるいはバランスというものは、「開発者側から与えられるもの」がまずあります。
どのように遊ぶのかをユーザーに教えたり、強制するわけです。

一方で、ユーザー側が遊ぶことで、「独自の遊び方やゲームバランス」を生み出すこともありますね。
対戦ゲームでは、一年後に全く別のゲームに変貌していたなんてことがあります。

このふたつは決して相反するものではないと思います。
一見すると、上からの遊び方を示す開発者側の視点と、下からの遊び方を創るプレイヤーと分けられそうな気もします。
この考えではふたつの視点がぶつかり合う地点が生まれているような印象を受けます。
しかし、私は以下のように考えています。
「開発者が作り上げた遊び方」は、最初にユーザーをゲームの中の世界へいざないます。
エスコートをする保護者、または助走路の役割を果たすのです。
プレイヤーは、「ゲーム特有の遊び方」を学びます。

このときになって初めて、プレイヤーは自分特有の遊び方を生み出せるようになる。
対戦ゲームでは発売から数ヶ月すると新たなコンボや技が生まれますが、それまでの「奇抜な技が生まれるまでの期間」は、開発チームの想定したバランスで成り立っている世界です。
そして、新たな技を生み出した後はユーザーが作り上げていく世界へと変わっていく。

まあ私はこのように考えているのです。


2010年 12月1日     日記の意見感想はこちら 
コールオブデューティ モダンウォーフェア2

PS3だから少しだけオンライン対戦もやってみました。

対戦はゲームパッド(コントローラー)でFPSはやるものじゃない。
マウスよりも動かしたい方向に即座に動かせないものだから、立ち回りがPCでやるのとだいぶん違ってくる。
慣れの問題と言ってしまえばそれまでだけど。

パッドでやる場合は、ゲームスピードが著しく遅くなるということが分かった。
だからPCのFPSそのものだったのだをやった後だと、非常にゆったりとしているように感じる。
また、即座に照準を合わせることができないため、待ち伏せが非常に有効。
ある程度エイムに補正がかかっていて、おまけにラグも結構あるから戦線攻撃したものが本当に強い。

なんつーか自分の嫌いなタイプのゲームでした。
モダンウォーフェア2の広いマップと相まって、スナイパーや待ち伏せが極めて有利。
ついでに言えばキルストリークとグレネードランチャーが強すぎる。

評判が悪くなされているのもよく分かります。

さて、コールオブデューティに限った話ではありませんが、対戦型のゲームは日々新たなテクニックが生み出されています。
数年前までの私はこのようにユーザーが新たな遊び方を生み出していくのは、「ゲームの遊び方ではない」と考えていました。
開発者たちが想定した「最高の遊び方」をなぞることがゲームの面白さ、ゲームの謎解きをする意味だと。
最近はだいぶん軟化させていますから、「開発者原理主義」とでもいうべき考えは持っていません。

特に対戦要素が濃いゲームにおいては、開発者の意図を外すような行為が生まれやすいと言えます。
例えば『ストリートファイターII』というゲームを考えてみましょう。
初代のストIIはバランスなんてあったもんじゃないゲームでした。
対戦が人気となったので幾度も調整を施されたバージョンが発売されます。
そして初代発売から3年経って『スーパーストリートファイターII X』が誕生し、ようやくストIIは進化を終えます。
このようなバージョンアップが繰り返された理由は、ユーザーが遊びたおした結果にあると言えるでしょう。
いくら開発者が綿密に調整したとしても、それ以上の数千数万のユーザーが数百数千時間遊ぶのです。
ですから、開発者の予想もしなかったことが出てくるのは当然です。
このようにしてユーザー間で生み出されたセオリー・テクニックの類は、開発者が事前に用意した「答え」とは異なります。

そして不満もまた噴出してくるわけです。
「○○が強すぎる」とか、「○○がネタキャラになってしまっている」とか。
そこでバージョンアップ版が出さます。
しかし、バージョンアップが施された「最高のゲーム」を送り出しても、絶対に最高にはなり得ません。
調整なんてのは、「どこかをかえれば他の欠点が浮かび上がる」ものなのです。
つまりゲームの開発には終わりがない。
ということは「どこで妥協するか」がゲーム開発において極めて重要であると言えます。

あと、無闇に変えてしまうとユーザーの望まない方向への変化も生み出してしまう可能性もある。
敢えて悪く言うと、「バランスを変えない」こともひとつの手です。
なぜならバランスが変わることが分かっていれば、次のバージョンのためになるような行動をユーザーは取ります。
弱体化がくる武器を使わない、望まないアップデートなのでゲームをやめてしまうなど。
変なアップデートによってユーザーが離れるということもあり得る。

したがってオンライン回線をつうじて頻繁にアップデートを行い、最高のバランスを持つ対戦ゲームが生まれる可能性はありません。
理論上はありそうな気もしますが、問題が山積みです。
まとめると、1.ユーザー側の拒否、2.そもそも最高のバランスとは何か、の二点が大きいのです。
例えば、対戦ゲームで武器がたくさん用意されていればユーザ側はカスタマイズの自由度を楽しめますが、その反面バランスを取ることは非常に難しくなります。
極端な話、武器は一種類にするとバランスはとれるわけです。
しかしそんなゲームは誰も望んでいない。
変数を多くすれば取り得る数値は不安定になります。


コールオブデューティモダンウォーフェア2は、おそらくグレネードポンポンの、キルストリーク・レイプゲーになってまうとは開発も予想していなかったのだと思います。
特にブラックオプスの開発チームがモダンウォーフェア2を反省するような発言をしているのを見ると、余程堪えたのでしょう。
ところが、ブラックオプスは「戦場を走り、戦況をかき回し、撃ち合う」ゲームに方向をガラッと変えたのに、ユーザーからの評判は良くないのです。
ラグが多いという技術的問題を差し引いても、そんなに評価が高くない。
うーん、「本当のゲームバランスってなんぞや?」と考えさせてくれますね。
詳しくはCOD:BOをネタに少しずつかきだめて、コラムにまとめようと思ってます。

コールオブデューティ3

Call of Duty 3 (コールオブデューティ3):XBOX360/2006年/スコア61)のレビューを追加。
おおよそ4000文字。

コールオブデューティ3は確かに「コールオブデューティのお約束」を忠実に守ってはいますが、ただ過去作をコピーしただけと言っても良いでしょう。
レビューでは上の一文をクドクドと述べています。

しかしさ、ドイツの人ってWW2のゲームをどう思っているんだろうね。
ゲームだから楽しめる人も多そうなんだけど。

なぜかってーと、日本人の中には、日本人やアジア人が敵になるゲームに拒否反応を起こす人がたまにいるらしいのですね。
ユーザーレビューを通覧していたら結構見かけます。
私は関係なく遊べますけど。








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