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昔のゲームに触れる意味 --FF2400-- ゲームのレビュー・紹介

昔のゲームに触れる意味
2010年9月
いまの小学生はどのようなゲームをしているのだろう。
ポケモンやイナズマイレブンだろうか。
それともドラクエやFFのような昔からの定番だろうか。
中学生になったらモンスターハンターに興味を示し、海外製の戦争を舞台にしたゲームも大人の世界への入り口として興味を持つかもしれない。

それでもこれだけは言えそうだ。
ファミコンのゲームに触れる機会はほとんど無い。
なぜならファミコンのゲームは最新のものではないため、友達との会話に共通するところがない。
子供の世界でスーファミやファミコンは過去の産物なのだ。

中古カセットの流通もずいぶん少なくなってきている。
いま、ゲームを買うのは家電量販店やレンタルソフト・本など併売店が多い。
これらの店でファミコンのカセットが扱われることはない。

ファミコン時代のゲームは、いまのゲーム時代を切り開いた原点である。
ところがこれからのゲーム文化を担っていく人材が原点に触れることなく、ゲームを語り作っていくかもしれない。



私たちは昔の人たちが積み上げてきたものを消化して、過去を学ぶ。
小学校で配られる国語の教科書には昔の人の文章が載っている。
世代の違いは言葉・文化の違いを意識させ、いまの自分の立ち位置を形作る。

小中学校の図書室に手塚治虫や横山光輝あたりの漫画が所蔵されている。
これからは浦沢直樹あたりが入りそうだ。
確かに子供が楽しめるようにと、一定の評価がある漫画を所蔵しているのかもしれない。
小難しい小説や評論を読む子供は少ない。

しかしここで思わぬ効果を生む。
手塚や横山といった数世代上の人物が描く物語や漫画の手法は、いま子供たちが読む漫画との差を浮かび上がらせてくれる。
鳥山明や尾田栄一郎という、やや昔から現代の人気作家と平行して読むことで、読み手は無意識に過去を知ることになる。
このような積み重ねが新たな文化を作り、次世代へ継承されていく過程である。

ゲームの話に戻ってみると、インベーダーやマリオ、初代のドラクエやFFに触れることは大きな意味をもつと言えないだろうか。
ここでリメイク作でもなんでもない、過去の作品そのままにこそ意味がある。
リメイクは過去を現代の視点で読み解いたものである。
昔を知るにはそのままの昔に触れるのが最も良い。

いまの子供に過去のゲームを触れさせるためには、最新作のミニゲームとして過去作をそのまま収録するという手があるだろう。
ほかにもダウンロードタイトルとして昔のゲームを配信することも、やや手続きが面倒なものの、有効な方法である。
場合によってはエミュレータや動画サイトでの紹介も価値を持ちうる。

そろそろ私たちは次世代への継承ということを考える局面にきている。