紹介
紹介
『Archeage(アーキエイジ)』(以下『アーキエイジ』と表記)はXLGAMESが開発したMMORPGである。2013年1月に韓国でサービスが開始され、日本では2013年7月から正式サービスが始まった。
ゲームエンジンには自然描写が極めて美しいCryEngine3を使っている。
XLGAMESの創設者は韓国MMORPGの父とも呼ばれるJake Songである。
かつてNcSoftに在籍していたJake Songは『風の王国』(1996)や『リネージュ』(1998)を生み出した。
どちらも韓国で爆発的なユーザーを獲得し、韓国のゲーム産業の趨勢を大きく変えたとさえ言える。
ところでMMORPGという名前が生まれたのはリチャード・ギャリオットに手による『ウルティマ オンライン』(1997)からだと言われている。
2001年、リチャード・ギャリオットはなんとNcSoftと手を組み、新作MMORPG『Tabula Rasa』の開発に取りかかった。
このとき『リネージュ』で実績のあるJake SongがNcSoft側の代表として手を取り合ったのである。
『ウルティマ オンライン』のリチャード・ギャリオットと『リネージュ』のJake Songが手を取り合ったドリームチームが生み出すゲームに期待が集まらないはずがない。
しかし、言葉も文化も異なる開発陣が連携してゲームを作り上げるなど無理だったようである。
2003年にJake Songは『Tabula Rasa』の開発から退き、NcSoftからも退社することになる。
そしてXLGAMESを立ち上げ、レースゲームを1つ世に出し、2006年から新作MMORPGの開発に乗り出した。
この新作MMORPGが『アーキエイジ』である。
一方の『Tabula Rasa』はリチャード・ギャリオットが一から作り直し、2007年にようやく完成をみた。
とはいえあまり評判は良くなく、2009年にサービスは終了した。
様々な世界がプレイヤーをまっている |
しかし実際に仮想世界を作るのは至難の業である。
それゆえ理想像に忠実だった『ウルティマ オンライン』以降、仮想世界での生活よりもNPCとの戦闘、クエストの消化、対人戦、戦争といったものが研ぎ澄まされたMMORPGが多く発売された。
いまではMMORPGというジャンルが、クエストをこなしながらレベルを上げていきダンジョン・対人・生産といったコンテンツを消化するゲームを指している。
『アーキエイジ』はMMORPGの理想を求めながらも、黎明期以降に蓄積されたノウハウやシステムを組み込んでいる。
現代版『ウルティマ オンライン』を目指して開発された。
つまり奇抜なところがない、ありきたりなMMORPGである。
プレイヤーは二つの陣営に分かれ、レベルを上げてクエストを消化しながら様々なものを生産し、ゲームの世界を堪能する。
数あるコンテンツの中でも「生産」が『アーキエイジ』の要となっている。
「生産」とは武器・防具・補助アイテム・家・船などを作るシステムのことである。
生産をするには材料を揃える必要があり、その材料もまた畑で「生産」するか世界中を旅して探さなくてはならない。
MMORPGではお馴染みのシステムだが、生産システムが割と他の要素と絡み合うように作られている点で『アーキエイジ』はひと味違う。
どんなプレイヤーも長く遊ぶためには多かれ少なかれ生産に携わらなければいけないようになっているのだ。
『アーキエイジ』が「生活系MMORPG」と宣伝されている由縁である。
自分だけのキャラクターを作ろう |
飽きやすいプレースタイルを三つ紹介する。
一つ目はクエストを消化しながらレベルをひたすら上げていくプレースタイル。
二つ目はインスタンスダンジョンに籠もったり、MOBを狩りつづけるスタイル。
三つ目は常に対人戦で手に汗握る戦いをしようとするプレースタイル(大量の味方で敵をなぶり殺すスタイルは含めない)。
私が『アーキエイジ』をしばらくやってみて気づいたのは、「生活をしなければならない」というごく当たり前のことであった。
様々なプレースタイルを許容すると宣伝されているが、実は「生活系」以外の遊び方をしてもあまり面白くはない。
上で三つ紹介をしたプレースタイルで遊べないことはない。
しかし数が少なかったり底が浅かったり報酬が美味しくなかったりするため、エンドコンテンツに耐えうるものではないのだ。
なにかしら「生産」に関係する生活をしなければ『アーキエイジ』の世界に不満を持ってしまうだろう。
ゲームを楽しく遊ぶためにはルールをまもらなければならい。
『アーキエイジ』においては「腰を据えた生活」をしなければならないのだ。
また、そのような生活をするために世界は設計されている。
と同時に矛盾点も抱え込んでいる。
どういうことなのか。詳しくはレビューで見ていこう。
何気ない行為が喜びとなる |