Half-Life(ハーフライフ) レビュー --FF2400-- ゲームのレビュー・紹介
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レビュー最終更新日 2009年4月
タイトル
Half-Life(ハーフライフ)
機種:PC
ジャンル:FPS
発売年:1998年


紹介
ハーフライフは1998年に発売されたゲームである。
Valve softwareが制作をしている。
当時のPCゲーム業界を震撼させた名作中の名作であるとともに、Valveを一躍一流メーカーへとのし上げた。
さらに、ハーフライフはMODを作りやすいゲームエンジンだったため、おびただしいほどのMODが作られた。
奇跡のゲームと呼ばれる「カウンターストライク」や、未だに遊ばれている「Sven Coop」など、製品の品質に負けていないMODが数多く作られている。
ハーフライフはゲーム自体の出来も卓越していた上に、そこから生まれた二次作品も製品そのものより面白いレベルに達したのだ。
ここからハーフライフの評価は不動のものとなり、半ば伝説化したと言っても良いだろう。

古いゲームながら、名作のため再版が何回も行われており入手は簡単だ。
少し割高なパッケージを購入しても良いし、Valveの運営するオンラインソフトウェアのSteamで購入しても良い。
また日本語化できるMODも存在する。

今回のレビューと紹介はいつもと違う形で書いてみようと思う。
まず"紹介"の欄ではハーフライフが当時としてはどれくらいすごかったゲームなのかについて説明する。(念のために言っておくと、私は当時やっていません。さまざまな情報から考察をしています)
次にレビューでは現在から見たハーフライフそのものと、ハーフライフ発売後のFPSを概観する。

放射能ゾーンの画像
ハーフライフは割と不気味な雰囲気があるゲームだ

そもそも現在のFPSと呼ばれているゲームの元祖は1992年に発売されたWolfenstein 3Dだと言われている。
また世界初の3Dで再現されたFPSが登場したのは1996年のQuakeであった。
ちなみに日本人にもなじみ深いニンテンドウ64のゴールデンアイが発売されたのは1997年。
そんな中、1998年にハーフライフが発売されたのだった。

FPSの定義については様々な解釈があるものの、現在のような「銃で敵を撃つ」ことに特化したのは紛れもなくWolfenstein 3Dである。
当時のFPSはスプライトを利用した擬似的な3D ゲームだったので上下の区別はなかったが、96年のQuakeは上下の概念を完全に取り入れた。
現在遊ばれているFPSの大本はこのQuakeだと言ってもいいだろう。
しかしQuakeは今のFPSとは決定的に違うことがある。
Quakeはあくまでもアクションゲームとして作られており、ストーリーなど関係のないゲームだったのだ。
今のFPSと言えばど派手な演出、凝った演出やストーリーがあるのが普通だ。
Quakeはolfenstein 3Dから続く「アクションゲームとしてのFPS」の伝統に忠実に沿ってきたのだ。
しかし、3Dによる表現が増すにつれてアクションゲーム以外の要素を詰め込もうとする試みが行われてくる。
(もちろんずっと前から一人称視点の利点を使った意欲的なゲームはあった。しかし現在振り返られていないことからすると、後世に残すものはあまりなかったと思われる)
97年のゴールデンアイはPCゲーマーからすると邪道かもしれないが、ジェームズボンドをモチーフとしたシングルプレイヤーは当時としては革新的な要素が詰め込まれていたと言われている。
98年に生まれたハーフライフは、いわばアクションゲームからの脱却を図ったFPSなのである。

警備員と共闘
例えばこの画像のように、自分に味方するNPUがいるのも当時としては斬新だった

ハーフライフが優れていた要素はいくつもあるので、一気に列挙していこう。
・明確なストーリーを持たせたこと
・一人称視点の利点である「ゲーム内キャラクター=プレイヤー」の徹底的追求
・アドベンチャーゲームのような適度な謎解き
・サバイバル状況を演出するゲームバランス

特に優れていたのはFPSにストーリーを付け加えたことだ。
だがここで勘違いしてほしくないのは、ハーフライフのストーリーテーリング(語り方)は日本のRPGのようなものとはまったく違う語り方だということ。
確かにハーフライフは当時ストーリーとは無縁だったFPSにストーリーを付け加えた。
それだけでなく、一人称視点の利点を生かした語り方だったのだ。
一人称視点ゲームの良さは、プレイヤーがゲームない世界に没入しやすいことにある。
言い換えれば、FPSではゲーム内で操るキャラクターがプレイヤーの分身になりやすい。
その点、ハーフライフは「主人公=プレイヤー」を意識的に感じさせやすく作られている。
まず、主人公の姿形を含めた情報は、事前に与えられることはない。
ゲームを進めるうちに話しかけてくるNPCの何気ない会話が主人公「ゴードンフリーマン」を徐々に形作っていく。(しかしそれでも十分に情報は提供されない)
もちろん主人公は一切話すこともなく、勝手に動くこともない。
なにをしようがプレイヤーの動かす行動をきちんと反映してくれる。

またカットシーンを使わずに常にリアルタイム進行でゲームは進んでいく。
特に一人称ゲームではカットシーンを挿入することでプレイヤーとキャラクターの距離感を感じさせることが多い。
普段から見えない、自分で操っているはずのキャラクターが勝手に動き出すのだからしょうがない。
ハーフライフではそんな要素はまったくない。
例えば目の前で起こる様々なイベントシーンは常にゲーム内の情報(カットシーンではなくて)で伝えられる。
目の前にあるデカイ障害物を壊せばそのまま障害物が道になったりと、自分の起こした行動が完全に反映された結果として目の前に現れるのだ。
したがって、ハーフライフではゲーム内で操るキャラクターはプレイヤーそのものとなる。

爆発シーン
ハーフライフで何が起こるかは自分の目で確かめよう

次は謎解き要素についてみていこう。
ハーフライフはなかなかにテクニカルな謎解きが用意されている。
これ自体は難しすぎず簡単すぎず、なおかつ頭を少し使えば解けるうまい具合いに調整されている。
ヘタクソな謎解きゲームは「なぞなぞ」を解くような謎を吹っかけてくるが、ハーフライフの謎解きは発想の転換の必要がない謎解きだ。
ただ、これだけを抽出してみてもハーフライフの面白さにはつながらない。
謎解きと一人称視点を組み合わせることで、はじめて抜群の面白さが生まれてくる。
ハーフライフの謎解きは謎解き自体がそれ自身で完結していない場合が多い。
具体的には、電気が走る水溜りを超えるために足場を持ってきたり、そのままでは通れない場所は物を動かして進む、といった「先に進むため障害物」になっているのである。
したがっておそらくプレイヤーは謎解きとかパズルを解いているという感覚はない。
なぜならハーフライフは、『緊急事態に陥った研究所から逃げ出すこと(サバイバル)』が目標のゲームだからだ。
控えめに設置されたパズル要素は、どれもこれも爆発で破壊された研究所から逃げ出すための手段となっており、プレイヤーにはごく自然のことに感じられるのだ。

サバイバル感を演出するためにハーフライフの難易度は高めになっているが、逆に言えばこれは「事件に巻き込まれたひ弱なプレイヤー」を演出しているのである。
何の訓練も受けていない主人公の弱さを、(軍隊経験があまりないと思われる)プレイヤーと重ねあわせることで、主人公とプレイヤーは近づいていく。
ハーフライフでもっとも優れているのは、一人称視点特有の没入感なのだ。

ハーフライフ以前のゲームはひたすら敵を倒すだけだったが、ストーリーや謎解きのような知的な要素を入れることでハーフライフは一歩抜け出した。
しかしそれだけでなく、没入感を追及したゲームのつくりはプレイヤーを知らず知らずのうちにハーフライフの世界に引き込んでいく。
表面的にはストーリー性が注目されているが、私はハーフライフの隠れた要素として没入感、主人公との一体感を付け加えたい。
もちろんストーリー性の意味には私の言った言葉が含まれているかもしれない。
ただ、○○性という曖昧さとは違うしっかりとした意味の言葉を残しておきたいだけなのだ。

水のたまった部屋
この部屋を抜けて先にいかなければいけないが、電源が水につかっているので水につかるとダメージを受ける場面
部屋の端にあるブレーカーを落とすことで先に進める。こういったことも広義のパズルに入ると思う


レビュー
●今から見ても面白い箇所が多い名作

今回のレビューは現在から見たハーフライフを書いていこうと思う。
いわば、紹介はハーフライフ以前。レビューはハーフライフ以後だ。

ハーフライフの衝撃は、ハーフライフ以後に発売されたFPSを変身させたと言えるだろう。
それまでアクション一筋だったFPSに新たな試みを加えることで、もっと面白くなる可能性をひらいたのだ。
しかしハーフライフだけが「新しいFPS」を作り出したわけではない。
同じく1998年にはThief: The Dark Projectが発売された。
Thiefは一人称ゲームでありながらステルス要素を盛り込んだ野心的なゲームである。
プレイヤーは泥棒となり、比較的自由に攻略できるマップを自分の好きなように攻略して望みの「お宝」を手に入れるゲームだ。
1999年にはRPG要素を取り入れたSystem Shock 2が発売されている。
あまり知られることはないがSystem Shock 2も名作として名高いゲームである。

これは私個人の意見なのだが、2000年手前ごろにFPSの革新みたいなものが起きていたと考えられる。
FPSというジャンルが、長年積み重ねてきたアクションゲームからの脱却、ハードウェア性能の向上によるゲームの進化を行ったと考えられはしないだろうか。
ハーフライフはその中でも特に中心的、象徴的なゲームとして現在も名声を得ているのである。

共闘
戦闘の画像

ハーフライフを現在から見ると、面白い要素と面白くない要素にはっきりと分けることができる。
面白い要素は「紹介」で説明したハーフライフ独自の革新的な部分だ。
年月を経てもまったく面白さは変わっていない。
逆に言うとハーフライフを超えたゲームがあまり存在しないということもできるだろう。
ここ、大事なんで注意。

面白くない要素はFPSとしてもっとも大事な戦闘と移動の感覚だ。
戦闘に関しては今から見ると突っ込みどころはたくさんあるので、面白くない戦闘要素をひとつだけ指摘する。
ハーフライフでは拳銃以外の武器がバラけ過ぎる。
きちんと狙っているのになかなか敵が死なない(そしてこちらは敵の攻撃をうける)というまったく面白くない状態に陥りやすい。
サバイバルを演出する少々高めの難易度バランスについては、今から見るとクイックセーブを前提したバランスだったのだと批判できるかもしれない。

また移動に関しては妙な慣性がかかっているので、細い足場やジャンプを駆使する場面でのプレイヤーキャラクターのコントロールが難しい。
この移動のやりづらさがハーフライフでよく指摘されている欠点でもある。
ハーフライフではゲーム後半になると「ジャンプアクション」を駆使して進む場面に出くわす。
ところが、現在ほど操作がこなれていないため、ジャンプアクションが非常に難しい。
慣れてしまえば何とかなるのが、それでも私は一人称視点のゲームでのジャンプアクションは基本的に要らないと思っている。
一人称視点で見えてくる空間の奥行きや広さは、非常にわかりにくいからだ。

飛び乗りシーン
ジャンプばかりのこういう場面はこりごりだ

ハーフライフ以後に作られたFPSは、ストーリーをある程度盛り込んだゲームが主流になった。
しかしハーフライフは戦闘や移動といった部分は今のゲームよりも劣るが、ゲームの表現方法(ストーリー)は今のゲームと比べても同じぐらいのレベルか、それ以上の面白さをもっている。
これはどういうことだろうか。
2000年以降に作られたFPSについて簡単にまとめてみると、「インターフェイスや移動その他の全般的な改善」や「技術優先」が浮かび上がってくる。
まず「インターフェイスや移動その他の全般的な改善」についてだが、現在のゲームは非常に親切なゲームが多いということに気づいてほしい。
今あるほとんどのFPSでは操作を覚えさせるチュートリアルから始まっている。
操作に関しても昔のゲームを参考にして作られているので、ゲーム中に操作体系での不満を覚えることはあまりないだろう。
これはほとんどのゲームにいうことができる。
ある意味「テンプレート化」された操作体系や、操作感覚がFPSにはある。
ハーフライフでは少しだけ未熟だったものの、現在は完成しきっているといって良いだろう。

しかしハーフライフを今でも際立たせているのは、ハーフライフ以後の「技術優先」のゲーム作りにある。
(補足しておくと今は少し違う。開発にかかる技術が高度化するにつれコストが高騰し、利益を上げるのが難しくなってきている)
「FPS当たり年」と呼ばれる2004年と2007年について見てみよう。
04年と07年は大作ゲームが目白押しの年だった。
04年は続編のハーフライフ2をはじめとして、DOOM3、Farcryが代表作だ。
一方の07年はCrysis、S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl、Bioshock、Call of Duty 4: Modern Warfareあたりだろうか。
技術偏向のゲーム作りは特に04年では顕著だ。
ハーフライフ2は「物理エンジン」を利用したゲーム、DOOM3は影の生成を利用したゲーム、Farcryは広大なフィールドと高度な敵AIを利用したゲームだった。
どれもが技術力の進化によって生み出された新たなゲームだということは間違いないだろう。
技術力があがることによってできるようになることは増えるので、技術力がアップすることは良い面も多い。
07年のゲームを見てみると、Crysis、S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobylも同じく完全に技術力優先型のゲームである。
S.T.A.L.K.E.R.については技術力不足のために、ゲームのつくりを変わった方向へ舵取りをして成功させた事例なので技術力優先とはいえないかもしれない。
しかし元々はずいぶん昔に発売予定だったものが技術的問題で延び延びとなり発売されたことから考えると、技術力のゲームだと言えるだろう。
もう一度書くが、私は技術優先のゲームについては良い印象も悪い印象を持っていない。(良い面も悪い面もあるからだ)
Bioshockは99年に発売されたSystem Shock 2の焼き直しである。
ゲーム発売前にBioshockの開発者は、「RPGとFPSの垣根を越えた新しいゲームを作り上げた」と自信満々に語っていたが、ふたを開けてみるとそこまで新鮮なゲームではなかった。
Call of Duty 4: Modern Warfareは強制的なスクリプト(台本)を多用してプレイヤーにあれやこれや指示するタイプのゲームである。

レーザーが張り巡らされている画像
レーザーに触れるとドカン!

いくつもあげてきたが、どのゲームにしてもハーフライフのとったゲーム作りを踏まえているものがないことに注目してほしい。
強いて言うならCall of Duty 4: Modern Warfareが近いと言えるかもしれないが、ハーフライフよりも強制的なシーンが多く挿入されているので毛色は違う。
つまりハーフライフの純粋な後継作(ゲーム作りという点において)はないのだ。

だからハーフライフは今やっても新鮮で面白いのである。
ずいぶん上のほうで述べたQuakeとかは、すべてのFPSの元となったゲームだ。
換言するとQuakeの発展系がQuake以後のゲームであるというわけだ。
そうなると現在のゲームはQuakeの洗練されていなかった点をこれでもかと洗練させているので、今Quakeをやってもあまり面白く感じないはずだ。
しかしハーフライフには超有名な後継作がないため、いまやってみても面白いし、新鮮さすら感じさせてくれる。

ハーフライフの衝撃はなんだったのだろうか。
おそらく当時のゲーム開発者はハーフライフ以上の没入感を得るゲームを作ることは難しいと考えて、ハーフライフとは違った方法でストーリーを盛り込んだに違いない。
2000年のNo One Lives Foreverは映画的手法のストーリーを盛り込んでいるし、かなり後年の2002年にはMedal of Honor:Allied Assault (コールオブデューティの前身)が強制的なイベントを配置することでストーリーを展開させている。
つまり完成度が高すぎるハーフライフと同じ土俵に上がって相撲をとると、必然的にハーフライフと比較されてしまうので、わざと同じゲームにならないように作っていたのだ。
ハーフライフとは違うアプローチのゲームをつくることで、ハーフライフと差別化したとすれば聞こえはいいだろう。

私のようなゲームが好きでたまらない人間としては少々寂しい気もする。
同じ立場で戦い、競いあうことで、どんなものもより高みへと上り詰めていくことが可能だからだ。
私は、ハーフライフの発売から10年以上たった今、そろそろハーフライフを批判的に継承したゲームが出ても良い頃だと思っている。
BioshockがSystem Shock 2を基に作ったように、Valveでなくてかまわないから「圧倒的没入感」と「一人称視点の利点」を追及したゲームは出ないものだろうか。
(トンデモ理論になるかもしれないが、没入感という意味ではFarcry2が良いところまで行っていると思う)
中ボス?のシーン
慎重に進むことも大切


まとめ
FPSを変えた傑作ゲーム。
ゲームの世界への没入感は他のFPSとはレベルが違いすぎる。
ただゲーム自体が古いし難易度は高いので何かしらのFPSに慣れていないと難しくて挫折するかもしれない。
特に戦闘に関しては、今から見てみるとかなり荒削りで面白くない。
FPS好きを自称するならば、絶対に一度は触れてほしいゲームだ。
PS2もでていない98年に作られたゲームが、「これだけ面白かったのか!」と感じてほしい。
そして今のFPSについて何かしらの考えを持ってほしい。

点数をつけるにあたっては、多様なMODコミュニティへの貢献も加点してある。

点数90点
リンク

公式ウェブサイト(パッケージ)



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