ゲームと犯罪と子どもたち 紹介・感想 --FF2400-- ゲームのレビュー・紹介
最終更新日 2010年5月
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ゲームと犯罪と子どもたち
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著者:ローレンス・カトナー、シェリル・K・オルソン(著)鈴木 南日子 (翻訳)
出版社:インプレスジャパン
出版年:2009年
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原題”Grand Theft Childhood: The Surprising Truth About Violent Video Games and What Parents Can Do”の和訳本。
直訳すれば、幼年時代を奪うもの〜暴力的ビデオゲームについての驚くべき真実と親たちが出来ること〜ってな感じ。
メディアではゲームが子供へ悪影響を与えているとまことしやかに言われている。
世論は暴力的・性的な要素を含むゲームが子供を非行や重大な犯罪へ導いていると考えがちだ。
「ゲームと犯罪と子どもたち」はそのことが本当に正しいのかどうか検証した論文をまとめてある。
歴史的な観点や過去のゲーム批判への反論から始まり、聞き取り調査による実証的研究結果が書かれている。
そして確かに存在する「悪い」ゲームへの対処法や、ゲーム批判をする人たちの思惑も描き出す。
研究ではゲームが悪い影響を与えるとは必ずしも実証されず、今後の研究が必要だとされている。
だからと言ってゲームが無害であると言うことも実証されていないので、親はゲームと子供とうまくつきあっていく必要があると著者は結論づけている。
暴力的ゲームと犯罪の研究は本書でまだ始まったばかりである。
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●結論は別に驚くべきものでもないが、ゲームを「知らない」大人にとっては驚くべき事実かもしれない
□新しいものは攻撃される
大人に限らず過去は素朴ですばらしいものだったとする考えは、ややもすれば蔓延しがちでもある。
そして自分が受けた教育こそが絶対無二のものであると考えがちでもある。
ほとんどの親、保護者にとってゲームは「見知らぬもの」だ。
だから昔から小説・映画・コミック・ラジオ・テレビは攻撃されてきた。
子供が新しいものによって、自分とは異なる何かに育つのではないかという不安があるのだ。
そのような不安をあおり立てる政治家や批評家は現に存在する。
政治家や批評家にしてみれば他人のためを思って発言していると思わせることで、利益を享受しようとする。
大人は常に、ゲームに関するセンセーショナルな報道や発言を冷静で疑いの目をもって接しなければならない。
それはもちろんゲーム自身に対しても向けられなければならない。
現に『悪い』ゲームは存在するからだ。
人種差別を増長させるゲーム、偏見をもつ女性観を植え付けるゲーム、個人情報を抜き取ろうとする宣伝ゲーム、子供にとってのアダルトゲーム(エロゲとか)だ。
そういったものはどうして悪いのかを子供にわからせる必要がある。
ある程度の判断能力が生まれてくれば子供は自然に自分で何でも出来るようになり、人種差別などの問題を本当の意味で理解していく。
子供は大人の目を盗んで不可思議な大人の世界を垣間見ることで成長をする。
問題なのは、そういった悪いゲームの奥に潜む邪悪な企みを10代前半の子供は理解できないことにある。
小さいころから人種差別ゲームをやっていれば、それが普通の感覚だと思ってしまうかもしれない。
本では『メディアリテラシー』とひとくくりにされる能力が大事である。
しかしメディアリテラシーを親が教えるためには、親もゲームについての理解を深めなければならない。
子供と一緒にプレイしたり、ゲームレーティングについて知ることでゲームについてよりよく知ることができる。
子育ては子供が成長するだけではない。
それを通じて親も成長するのだ。
□Grand Theft Childhood(幼年時代を奪うもの)の意味
原題の『幼年時代を奪う罪』の犯人は何かと問われたら、「ビデオゲームだ」と答える人は多いのではないかと思う。
中でも子供を持つ親はそう答えたくなるだろう。
しかし本書では適切な時間をゲームに費やすのならば、ゲームが子供の時間を奪っているとは言えないと断定している。
ゲームは子供たちにとってストレスを発散するためのツールであり、友達を得たり遊んだりする社会的行為を行うツールであるのだ。
これは小さいころからゲームをやってきた私にとってはすごく当たり前のことである。
特に友人関係をつなぐツールとしてのゲームの役割は、小さいころからゲームをやっていないとわからない感覚だ。
人気のゲームシリーズ最新作が発売されれば、学校中で人気ゲームの話題が持ちきりになっている。
ゲームについてわからないと学校の話題について行けなくなり、会話に入れないので寂しい思いをする。
そうでなくとも、ゲームを使って遊ぶことはごく自然のことだ。
ゲーム未経験の大人は一緒にプレイすることしか考えられないのだろうが、子供同士では交代プレイをしたり、何人かで知恵を出し合いながら新作ゲームを攻略したり、面白いゲームを友達にやらせて自分は「教える」ことを楽しんだりする。
こういった遊び方は大人の知らない子供の世界である。
昔ゲームがなかったころに「ごっご遊び」やコマ回しをしていたことと何らかわりのない世界がそこにある。
変わったのはゲームかコマかというだけである。
もし親がゲームを悪魔のごとく忌み嫌って、自分の子供からゲームを引き離してしまったらどうだろう。
ゲームを奪われた子供はストレスを発散する場所を亡くし、友人関係を作るために大事なツールの一つをなくすことになる。
もちろん昔ながらの遊びも大事ではあるが、時代は変わってきている。
つまり、ゲームを不必要に子供から取り上げることは、子供にとって不幸なのであって、大事な幼年時代を奪うことになると著者は言いたいのだと思う。
健全な社会関係なのかどうかはわからないが、少なくとも今の子供たちにはゲームは必要なのである。
そして、すべてをゲームに帰する世論や政治家の発言は問題の本質を曇らせてしまう。
重犯罪者が犯罪に至った本当の原因が社会的環境や家庭内環境、精神疾患だったとしても、ゲームを悪とすることで本当の原因はわからなくなってしまう。
思考停止状態に陥る危険性があるのだ。
ゲームにハマる子供はゲーム自体に原因があるのではなく、その奥の「何か」がゲーム依存を引き起こしているのだと考えなければならない。
その「原因」を見つけ出さずにゲームを悪いと決めつければ、子供にとって最悪なことになりかねない。
□きちんとした調査は行われるべきだが、すぐに実を結ぶことはない
暴力的ゲームと人間の暴力性に関する研究は未だかつてほとんど研究されてこなかったと言える。
メディアと暴力性に関しての研究もさほどいい加減なものばかりで、社会的に関心のある話題なのに研究結果が少ないのは驚きだ。
「ゲームと犯罪と子どもたち」がゲーム研究の試金石となってくれることを願うばかりである。
そもそもゲームの研究は漠然としすぎていてとらえどころがなく、かなり難しい問題だ。
子供を何年にもわたって追跡調査する必要性に加え、ゲームとそれ以外のメディアや家庭環境が子供に与える影響を区別することも難しい。
つまり明日明後日ですぐさま結論が出てくるような問題ではないのだ。
もちろん「ゲームと犯罪と子どもたち」では暴力性とゲームの関連性、または非関連性が完全に実証されたとは言い難い。
確かに興味深い研究結果は得られたので、暴力的行動とゲームのそれほど関係はないのではないかという結果は出てきてはいる。
それでも今後の研究が必要なことには変わりないだろう。
これから何十年もかかった研究が必要になると思われるが、ぜひとも著者たちには研究を続けてほしい。
□ゲームを知るという、一見すると当たり前な話が一番大事である
本書の調査結果から、子供は親の価値観を色濃く受け継いでいると言うことがわかっている。
親が暴力的なゲームはいけないことだと普段から言っていれば、子供もきちんと理解している。
それに子供は、ゲームの世界が非現実の仮想世界であることを理解している。
ゲームと現実は別であって、ストレス発散なりに使うものだと子供はわかっているのだ。
つまり親の普段の行動・言動が最も大事なのである。
いくらゲームを禁止していようとも、ドメスティックバイオレンスを行う家庭に生まれた子供が健全に育つとは思えない。
だから至極当たり前のことが「ゲームと犯罪と子どもたち」の結論なのである。
「ゲームと犯罪と子どもたち」の欠点はゲーム研究の始まりであることに関係があるだろう。
集められたデータと研究結果がスッパリとした答えを用意しているわけではない。
きつい言葉を投げかければ、ゲームとは直接関係のない映画やコミックの歴史例を取り上げるのは絶対的な事実を提示できなかったからである。
子供の証言を重視して研究の結果を出しているところも、あいまいな結果を生んでいると言える。
13歳の子供のある一辺だけを切り取った研究によりゲームと暴力に関する普遍的な心理が見つかるはずもないので、常識的な話を結論にもっていったとも考えられる。
だが、ゲームを通じて現代の子供は成長しているのは紛れもない事実である。
そのような子供からゲームを取り上げるのは健全とは言えない。
たとえゲームと暴力性の関係性があってもなくても、そして将来的に対処療法的と認められる方法であれ、親の保護という事後的な処置をほどこすことは、子供を育てていく上で大切なことには変わりはないのだ。
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★★★★(五段階評価)
全体的に子供をもつ親に向けて書かれた本。
ゲームを知らない人にとっては有益となる情報も多いだろう。
無知は偏見を引き起こす。
そのようにならならないために本書は有用である。