宮本茂の引退、横井軍平の引退、そして大作ゲームとソーシャルゲーム

任天堂の宮本茂がゲーム開発の最前線へ戻るとするニュースがでました。さて、これは何を意味するのでしょうか。私は横井軍平の引退と、このところ隆盛をきわめているソーシャルゲームやスマートフォン向けゲームとからめて考えてみます。

宮本茂と横井軍平

二人とも任天堂を語る上でかかせない人ですね。晩年に絞って話をします。

横井軍平は晩年に任天堂を退職し、小さな会社を立ち上げて玩具を作りました。この方はもともと玩具を作っていたのであって、ビデオゲームを作っていた人ではありません。ゲームウォッチであってもおもちゃの延長上で考えてしました。そんな横井軍平は巨大化するビデオゲーム作りに違和感を覚え、やりたかったことを叶えるために任天堂を退職したのだと思われます。他人を指揮して何をかを作り上げるのではなく、小さなことでよいから自分でりたかったのではないでしょうか。

次は宮本茂の話に移りましょう。上記のリンク先から発言を引用します。

「自分が本当にやりたいことは、もう一度自分自身で、ゲーム開発の最前線に入りたいということです」と宮本氏は言う。「おそらく、若い開発者と一緒にもっと小さなプロジェクトに取り組む。あるいは、本当に自分ひとりでできる何かにも関心があります。とても小規模なものです」

これ、同じことを言っていると思いませんか?横井は些細なものでよいから玩具へと戻ろうとした。方や宮本は小規模なプロジェクトへ携わろうとした。二人の発言は生涯現役という観点から見てもよいのでしょうが、私は全体が見渡せるプロジェクトをやろうとする意気込みに共通点を見いだします。

ビデオゲーム開発は大規模化し、完成までに時間がかかっている。そしてプロジェクトの全体像が見えなくなっている。そんなところに欲求不満を抱いたのではないか、というわけです。同様の意識をもつ人は多い。次に『MOTHER3』が発売中止になったときに岩田聡がインタビューで語ったことを引用してみましょう。

ファミコンの創世記って1本を2ヶ月くらいでつくっていて1年に何回も商品の完成を経験できていたのに、マザーをやっていた人間の中には、入社後4年も経っているのに、1回も完成を経験してない、なんて人がいたんですね。 本当にその当人には申し訳ないと思っているんですが、この差ってものすごく大きくて、深刻なんですよ。完成して初めてお客さんとキャッチボールなんですよ。

全体像が見えない、完成形が見えない、ビデオゲームをさわったときの快感を得られない。そのような問題があるのだと思います。

ゴテゴテのゲームとシンプルなゲーム

以前の記事と続く内容です。その記事では「昔のゲームと今のゲームはやっていることは違うものの、面白さを生み出すメカニズムがほとんど変わっていない。最新ゲームは装飾が多いせいでおもしろさの核心がみえにくい」と述べました。上で宮本茂、横井軍平、岩田聡を引いて論じたことに似ていると思いませんか?

単純なゲームでも楽しいのだから豪勢な演出は必要ないとする意見は多いものです。ここで大胆な仮説を立ててみようと思います。〈ソーシャルゲームやスマートフォンアプリのビデオゲームは過大な肉付けを行ってきた「正当な」ビデオゲームへの反発現象である〉、と

正しいか、正しくないかなんてのはわかりません。ですが、反動としての側面から見えてくるものはあると思います。