ストーリーについての覚え書き程度の戯れ言

 

『広告』という雑誌の2011年10月号に載っている記事を紹介。

私は内容についてほぼ賛成しています。

引用記事の要旨

ビデオゲームの面白さを引き出すのは何だろう?

「ロールプレイング」、「パズル解き」、「感情移入」、「リスク」などなど、伝統的にはこのようなことが言われてきました。ところがいまは「ストーリーテリング」が脚光を浴びてきているのではないでしょうか。とくにデジタルな分野では未開拓だと思われているのがストーリーだと言われている。

しかし著者はストーリーがストーリーとして作用するためにはディテールが必要だと述べます。ビデオゲームではどんなディテールが大事か。例えば建物を作り込む、人物を魅力的にする、コスチュームをきらびやかにする、シーンにあわせた音を作る、そういったものです。以上述べたような細部があって初めてストーリーは魅力的になります。いや、ストーリーというのは様々な要素をひっくるめたフレームワークのことであり、抽象的でとらえどころのない概念です。

ストーリーは「近道」になんてなりえないのです。 (以上要旨終わり)

最近のビデオゲームは本質が見えにくいだけ

ここからは自分の意見。

私は昔のゲームと今のゲームはやっていることは違うものの、面白さを生み出すメカニズムはほとんど変わっていないと考えています。例えばレースゲームを考えてみましょうか。ファミコン時代ですらフロントビュー(遠近法を利用した視点)のレースゲームは数多くあります(外部リンク参照→http://nesgbgg.seesaa.net/article/105833380.html)。で、このファミコンのレースゲームと最新のレースゲームはなにが違うのでしょうか?相も変わらず「複数プレイヤーで競争」「一人でタイムの限界に挑む」が中心の遊び方ですよね。

もちろんプレイヤーに要求される技術は昔と今は異なります。端的に言うと操作方法が違うわけです。昔は十字キーでやっていたものが今ではアナログスティック、またはハンドル型コントローラーで遊べるようになりました。しかし繰り返しますが、レースゲームの本質は変わっていません。

今と昔で大きく変わったのは見た目(グラフィックス)です。最新のレースゲームであってもテクスチャーをはぎ取ってしまえば、15年前のプレイステーションで発売されたものと変わりない。さらに大胆に見ればワイヤーフレームのゲームになり、3Dをやめるとファミコンのようになるかもしれない。

さて「昨今のゲームはややこしい」と言われます。このことについては様々な考察がありますが、いままで述べてきたことをもとにして考えていきます。

要はゴテゴテしているのです。無双なりなんなりを考えてみてください。操作方法は複雑になり、見た目も豪華になりすぎている。ですが昔も今も、画面に表示されるキャラクターを操って敵に攻撃を当てることは変わっていない。敵の攻撃パターンを読んで回避することも同じ。つまり面白さの質は変化していないのです。

ここでひとつ疑問が出てきます。 「どうして操作を複雑に、画面を豪華にしたのか?」という疑問です。次の項目に移りましょう。

ストーリーは未開拓か?

本質が変わっていない理由はおそらく新しい遊びを考えるのは難しいからでしょう。ところが人間不思議なことに、新しい遊びに触れなくても楽しめてしまうものです。私たちが遊んでいるときに面白いと思える瞬間が二つあります。一つは見たこともない瞬間に出会う驚き。もう一つは遊びに習熟してルール内で自在に動けるようになった瞬間。ビデオゲームになおしてみると、新作を買い続けるのが前者の「見たこともない瞬間出会う」面白さに繋がり、クリアしたゲームをやりこむのが後者の「習熟」にあたります。

ユーザーとしてはどっちの方向で楽しんでも良いわけです(余談:対戦ゲームはどちらの面白さも提供してくれる優れものです)。ただしビデオゲーム会社は新作を売らなければなりません。「習熟」の面白さを認めつつも、やはり「新作」の驚きを味わってもらいたいとメーカーは考えます。

ということでメーカーはジレンマに陥ります。〈新しい遊びを作るのは難しい〉、しかし、〈新しいものを売らなければならない〉。そこで登場するのが細部を変えた新作です。システムそのままに新ステージを追加した拡張版、グラフィックを差し替えただけの新作(死に体のケータイアプリとかに多い)、本質はそのままに追加要素を加えて「新奇性」と「習熟」を強制的に生み出した続編、といった感じです。私はこうしたものが悪いとは言いません。どうしても出てきてしまうものだから諦めなければならないとさえ思っています。

ここまでくると、引用記事の要旨と話が接続してきますね。未だに手つかずの分野が「ストーリーテリング」であると思われているのです。小説、映画、漫画などを見ると新しい作品が次々と生まれている。オキマリの展開だってあるけれど、新作は次々と生まれている。それに過去の小説は膨大な量に上るわけで、元ネタはいくらでも探すことができる。ビデオゲームがストーリー性を押し出すようになっているのは、単に遊びの本質を変えられないからこその苦肉の策なのではないでしょうか。こうしてストーリーのみならず、ゆたかな音楽、驚きのグラフィックといったものを次々と付け加えられていきます。まるで雪だるまのようにふくれあがっているのが最新のビデオゲームです。

ディテールの重要性

次に問題となってくる要素があります。ディテールの問題です。僕はビデオゲームほど情報量がおおいメディア媒体を知りません。文章がある、映像がある、音がある、物語が分岐する、いくらでも動かして世界を探検できる。あまりにも大量です。小説とビデオゲームを比べてみてください。人物の顔をモデリングしたり、モーションに力を入れたり、音を出したりする必要はありません。

これは何を意味するのでしょうか。小説の方が楽に作れてしまうのだと思います。とんでもないほどの細部まで作らなくともたいていの小説は作れてしまいます。一方でゲームではそうはいきません。新作になればなるほど絵的な情報量は増え、ごまかしが効きにくくなる。ゲームらしさにこだわって描き込むと途方もない量になってしまう。おまけにディテールに少しでも欠点があれば、プレイヤーへの違和感となってあらわれてしまいます。

しかし綿密に創られたビデオゲームは驚くほどのリアリティをもって私たちを楽しませてくれる面もあります。「絵」と「音」が組み合わさって織りなす世界から生まれる感動です。ここにストーリーが乗せられることで、更に心を揺さぶってくれます。自分で動かせる経験を逆手にとるような物語、まるで自分が主人公になったかのような経験、ビデオゲームにしか表現できないものがそこにあります。

最後にまとめておきます。ビデオゲームのストーリーはしっかりとしたディテールがなければ意味をなしません。細部があって初めて、物語が駆動し始めます。だけどストーリーを充実させようとする方向性は、ゲーム会社がおこなってきた雪だるま式の強引な売り方でもあります。