今後の予定みたいなもの

『ヴァンキッシュ』→『アーミーオブツー』→『ウォンテッド』→『マインドジャック』は確定。

すべてTPSです。

 

FPSの『FEAR3』は海外版と国内版を比較してから決めます。ちょっときになっているから。たぶん買うと思うけど。

点数をつける理由

ビデオゲームに点数をつけるのは難しいです。採点基準なんてものはないのですから当たり前と言ったら当たり前。しかし意味はある、と思う。

ビデオゲーム同士の相対的な位置を考えることになる

もう本当に悩むわけです。AというゲームとBというゲームはどっちが上なのだろう、と。しかも思いっきり点数差をつけるのだから、きちんと理由付けをしていなければなならない。誰かに疑問を持たれたときに即回答できなければ情けない。

そうやって何十本も繰り返し採点していくうちに、自分の好きなゲームはどうであるとか、自分の感性がどうなっているのか、似ているゲーム二種類の違いは何かを自然と意識できるようになってきます。本来は点数付けするなんてことは不可能でも、なんとかしてやろうと思うと見えてくるものがあるわけです。

おそらく見ている方も楽

もうひとつ利点があります。私のウェブサイトを見てくれた人が「どのようなゲームを遊びたいのか」を探すときの指針にもなるのです。点数になっているおかげですぐ分かるんですね。もちろん私の独断的な点数付けですので、どこまで参考になるかは未知数です。それでも判断の手がかりにはなり得ます。

点数付けは今後も継続してやっていきます。利点は多い。欠点もあるけれど、やり続けることに意味はあると思いたい。

ツイッター始めた。

少しずつフォローやツイートを増やしていく予定。一言だけつぶやきたいことを書こうかな、と。ブログにするまでもないことを話す予定。やる予定はないと言っていたけれど、やらないのも面白くないので。

 

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先が見えないものを買うこと

ビデオゲームには大まかにいって二種類の購入方法があります。情報量の差で分ける。もちろん現実にはこの2つは厳密には分けられません。

ひとつは体験版などで「情報を十分に得てから」買う方法。オンラインゲームなどの有料アイテムも同じ部類に当てはまります。

二つ目はあまり「情報を収集せずに」買う方法。体験版がそもそも出ていないゲームや、ジャケ買が典型例ですね。

賢い購入法とは何か

賢い消費者というのは一つ目のような方法でものを買います。ゲーム雑誌、ゲーム情報サイト、動画、体験版、他人からの評判を総合して、ビデオゲームを買うか決める。買う前からビデオゲームについてよく知っているとさえ言えるかもしれません。

このような人たちは自分の期待を元に商品を評価します。購入前に「この商品を買った後にどれだけのものが自分に得られるのか」を予想して買っているのです。「何が得られるのか」が分かってからお金を出している。さすがにラストまで分かった後に購入しているわけではありませんが、少なくとも何かしらの予想を立てて買っていることに変わりない。

究極的には払った金額に見合うものが手に入ったかで商品を評価する。まあつまり消費社会の勝者です。

賢くない方法にも利点はある

ではもう一つの購入方法は何なのでしょうか。これは商品から得られるものが何かを知らないで買う態度と言えるでしょう。不思議なことに、どのようなものか分からないのに買うのです。いや、わからないからこそ買っている。消費者として賢いかバカと言われたら、そりゃあバカなんだと思います。なにせクソゲーか、自分にあうのかどうかすら分からない。

だけど買うんです。そこに未知の出会いがあるかもしれないから。自分が選ぶことは確かに賢いやりかたでしょう。しかし、選択する際にはどうしてもバイアスがかかってしまう。人はそもそも興味のないものは見えません。注意深く見ていても見逃してしまうことだってある。おまけに選択する前に情報を集めるときも、一種のバイアスや好みが反映されています。つまり純粋な選択というものはあり得ない。その意味で私たちは数々の情報を比較検討しても、どうしても自分の限界に行き当たってしまいます。このような自分の限界を打ち破れるのが衝動買いだとか、他人にお勧めされたものを「無条件に」受け入れてしまう態度です。

ビデオゲームを購入して、プレイし、クリアした後に何が待ち受けているか分からない、自分がどのように感じるかは全く分からない、というわからなさを積極的に肯定していくわけです。

どっちもどっちではある

自分が選び取ったものを消費する・・・というのはきわめて合理的、理性的な買い方でしょう。このプロセスで私たちは自尊心を満たします。「ああ、自分でやりとげたんだよなあ」と優越感や満足感を得られます。私たちは自分で選択する、ということを享受しています。自由に選べることはそれ自体がまた素晴らしい。

一方で急に目についたものを購入したり、他人からの情報をそっくりそのまま受け入れることは確かに不安が抜ききれない。面白いかどうかはまったく分かりませんから。しかし、自分にたりないものを補完してくれる面があるのも確かです。ある種の強制や不快感は、自分にとって未知数であることを暗示しています。そのような嫌なものを受容するときに、私たちは新たなものを見いだせます。

で、何が言いたいか。私は二つ目の態度を大事にしたいと思っています。具体的に言うと、他人からのお薦めは無条件に受け入れるようにしています。そうすることで他の人が何を考えているかが分かりかけてくるでしょうし、そこに一種の縁を見いだすことができるような気がするのです。

ギャンブルと対戦ゲーム その2

ギャンブルとビデオゲームの共通点は「適度なランダム性」であることを既に述べました。しかしもう一つの観点を書きかけたまま前回の記事を放っておいています。今回は以前に触れた「ストレスの蓄積と発散のプロセスがパチンコの中毒性や面白さを生んでい」ることは何なのかを考えます。

「ストレスの蓄積と発散」はビデオゲームにおいてよく見かけますね。例えば『スペースインベーダー』で私たちは攻撃可能な一瞬を狙う。狙えない場面はストレスがたまります。いや、だからこそストレスがたまっているからこそ、一瞬をついて当てたときに快感が生まれる。

もうひとつストレスで大事な要素があります。技術の習得です。わかりやすくいれば、ゲームに慣れるまでの練習です。練習は極端な話、ストレスしか生み出しません。上達していく過程がわかろうとも、わからなくとも、とにかくストレスはたまっていく。

ではストレスが何を生んでいるのか?パチンコの場合と同じです。すなわち、練習によってたまったストレスを、何かしらの場面で発散させることができます。このとき、私たちを悩ませていたはずのストレスが快感を生むための燃料となるのです。逆説的ですが、ストレスがなければ快感は生まれません。

どういうことか。ストレスがまったくないビデオゲームを考えてみればよいのです。見た瞬間に操作が分かり、試行錯誤をしなくとも先に進め、もっとつきつめて言うと先に何があるのか完全にわかっているから敵の攻撃なんてへっちゃらなゲームです。もし以上のようなビデオゲームがあったとして、あなたはやりますか?私はやろうと思いません。ビデオゲームに限った話ではありませんが、先が見えすぎているものはおしなべて退屈です。何があるかわからないから私たちは先を見通したいと思って、ビデオゲームをやるのです。

ゲームや小説で描かれる未来が未知数だから、しかも小説やビデオゲームは劇的な展開が絶対に未来で待っている数だから、私たちは先へ進みたくなる。当座のストレスはいつかの未来で体験する出来事への障害です。しかし、障害がある程度大きければ大きいほど、未来への期待は高まります。未来に直面したときの感動は高まる。なにせ未来は私たちが苦労して手に入れたモノなんですからね。ビデオゲームをやる前からすべてがわかっているのであれば、そもそもプレイする必要はありません

と言っても、難しすぎてもダメ、簡単すぎてもダメ。なのです。パチンコはこのあたりを確率的に絶妙に調整している。ビデオゲームでも、その人にとって良質なゲームとは、全力を尽くしてクリアできるハードルよりもちょっと低めの難しさだったときです。言い換えましょう。自分の限界よりも少しだけ簡単なものをクリアするときに快感を覚えやすいのです。

したがって、「もうちょっとでいやになるなぁ」と感じたときに、ふいに先に進めるようになるゲームが理想だと言えるでしょう。パチンコならば、「負けすぎだからもう帰ろうか」と主尊きにちょうど良く「当たり」がでるとか。このあたりの加減をつくるのは極めて難しい。ビデオゲームでは最初から調整を放棄して、すべてをユーザーに任せてしまうようなモノもあります。