クォンタムセオリー その2

パクリだ、パクリだ、と言ってばかりいたら気分が悪くなったので、『クォンタムセオリー』が『ギアーズオブウォー』を参考にして改良したと思われる点を少しだけ書き付けておきます。

 

1.ボス戦が多い

でかいボスとの戦いがけっこう用意されている。

 

2.リアルタイム演出をやろうとしている

ムービーで語らせる・・・、カットシーンで語らせる・・・、という面は消えていませんが、プレイヤーの目の前で地形がガンガン変わっていく演出があります。

 

3.美人のヒロインがいる

と言っても、日本系のゲーム内美人キャラなんで「浮きすぎ」ている面もあります。主人公のゴツさや、マップのいかめしさとは水と油なんです。

 

4.とにかく戦闘が多い

これでもか、これでもか、というくらいに敵との戦闘に明け暮れます。

 

 

でもねぇ、やっぱり『ギアーズ』のパクリなんですよね。ダッシュのシーンとか、銃を撃つときに拡大するときとか、まさにギアーズそのもの。

 

 

クォンタムセオリー

『ギアーズオブウォー』の劣化。もといパクリ。それが『クォンタムセオリー』であります。作ったのはテクモ。日本のメーカーです。

 

同じ日本人として情けないというか、何というか。あまりにもギアーズギアーズしすぎです。ここまで露骨なゲームを作ってしまうのは、恥ずべきでしょう。確かに日本のメーカーがTPS(アクションシューティングゲーム)を作ってこなかった。だから「習作」として『クォンタムセオリー』は作られたのかもしれません。しかしあまりにも似すぎています。もっともっと違う方向性のゲームを作っても良かったと思うのです。

 

 

それでも『クォンタムセオリー』がすばらしいゲームであったなら、つまり言い換えれば『ギアーズオブウォー』を超えるゲームであったのなら何にも文句は出ないでしょう。さしずめ『バイオハザード4』にたいする『デッドスペース』なら問題なんて出てこなかった。ここまでの書き方から分かるとおり、『クォンタムセオリー』は微妙なゲームです。敵のAIは高度ではないし、「敵の攻撃を当てて、避ける」厳密性がほとんどない戦闘シーン、奇妙な演出、等々、どうにもこうにも残念です。

 

ただしゲームとしちゃ割とまとまっている方だと思います。なにせ「ギアーズのパクリ」ですからね。ギアーズばりの戦闘シーンが豊富です。但し、何度も言うようにギアーズしすぎです。

 

 

【メモ】「パラグラフ ライティング」「パラグラフ リーディング」への覚え書き

レビューの質を上げるためには文章について考えることも大事だ、と思います。そこで考えてみたことのメモを残しておきます。ここで書かれている内容はゲームと関係ありません。

パラグラフ ライティングパラグラフ リーディングとは何なのか

パラグラフ ライティングパラグラフ リーディングとは何なのでしょうか。端的に言ってしまいましょう。どちらも「読みやすくするための方法」です。読者が論旨や主題を手っ取り早く手に入れるための手段、と言い換えても良いでしょう。見逃されがちなのですが、2とも揃って初めて意味をなします。

パラグラフライティングとは「どこに何が書かれているか(論旨)」を明確しながら文章を書いていく手法です。一方のパラグラフリーディングは、「パラグラフライティング を使用して書かれた文章を、最短で読む手段」です。パラグラフライティングあってこそ、パラグラフリーディングは使えるのです。つまりパラグラフライティングされている文章でなければ、パラグラフリーディングはできません。

要するに文章の書き方、文章読み方のルールを言っているに過ぎない。ではなぜ、あたかも画期的な手法のように言われるのかという疑問が湧いてきます。理由はおそらく日本人がパラグラフライティングを学ぶ機会がないからです。パラライとパラリー(面倒なので略します)に限らず、不思議なことに日本人は文章の書き方を小中高で教えられていない。ですから社会に出た後や大学に入学後、自力で学ばなければならなくなっている。自力で学ばなければならないのだから、やたらと「売り文句」をつけて、まるで魔法のように宣伝されているのではないかと思います。

新聞の読み方、書き方みたいなもの

もうすこし違うものに喩えてみましょうか。皆さんは新聞の読み方を知っていると思います。一面の大見出し、中見出し、小見出し、詳しい記事は三面で解説、といったような構造です。私たちが新聞を読むとき、「そのような構造であること」を前提にして読んでいるのではないでしょうか。これもまた抽象的な言葉にすれば、私たちは新聞のどこに情報があるか」を何となく意識しながら記事を読み始めている、と言えるでしょう。だから新聞を読むと、すさまじいスピードで情報を得られるのです。「どこに何が書いてあるのか」が読む前から分かっているのです。読者が自分に必要な情報だけを取り出すのはワケもない。同様なことは雑誌でも、Yahoo!の記事でも言えます。

で、私が書くゲームレビューについても、読者のことを考えて「情報の位置」をかなり明確にしています。最近の文章はとくにそうしています。たぶん長らく読んでくれている方は、「読む前」に結論がどこに書かれているかが分かっているはずです。意識せずともパラグラフリーディングのようなものを使って読んでいる人もいらっしゃるかもしれない。

だが、面白くない

しかしパラライに限らず、「どこに何があるのか」を伝えてはいけない文章もあります。代表的なのは小説、それもミステリー小説でしょう。章の題名に「犯人は○○だ」と書いてあったら興がそがれます。小説だけではなくて、随想や批評ものには敢えてグニャグニャな論理展開を行っているものもあります。それはどうしてでしょうか。

この理由も簡単に言ってしまいましょう。「楽しませるため」です。情報を伝えるのではなく、「読者を楽しませる」文章の場合、どこに何があるのかを敢えて隠した方が都合が良い。文章で読者を魅了するからこそ、随想や批評に意味があります。単に情報を伝えるだけならば新聞や雑誌のように定型的な口調で淡々と書く方が良いのです。

定型的な文章は面白いものもありますが、無味乾燥でつまらないものが多い。やはり予定調和は面白くないのですそこをかき乱すから面白い。「どこに何があるのか」が分からないから、小説は面白い。素晴らしい小説を読んでいると、先が読みたくなります。先が分からないから、先へ先へと進みたい衝動にかられるわけです。これは小説以外の、映画、ゲーム、スポーツ観戦、そういったものにも当てはまります。どれもが「未知」を楽しむものです。

私はレビューにおいて、どちらかというと未知を楽しませてみたい、と思ってはいます。ところが文章力・想像力が足りず、どうしてもカチッとした文章を書いてしまいがち(そもそも論理的に書けてないという指摘もごもっとも)。上手い文章はたとえ論理的でなくとも読ませます。とはいえそんな文章は滅多にない。そこで折衷案として、どちらの長所も生かせるように部分部分はなるべくパラグラフリーディングが出来るように区分けし、中身の展開の仕方についてはアクロバティックに書いているつもりです。成功しているかどうかは別にして。

最後に、パラグラフリーディング、 リーディング、の決まりみたいなものを書いておきます。かなり大ざっぱに言います。

1.一文一意ではない。

一つの文で言いたいことを言い表しません。いくつかの文章に分けて説明します。ひとつのパラグラフ(段落)で一意ということもありますし、数パラグラフで一意ということもあります。

2.「抽象→具体→抽象」という形でひとつのパラグラフが作られることが多い。

たとえば以下のように書きます。

今日の社会のなかでは、科学者という存在はごくありふれている。むしろ、その存在がないということ自体が考えられない。しかし、今から150年前には、科学者と呼ばれる人々の数は、数えるほどだったし、200年前には、皆無だったと言ってよい。というと、直ちに反論があるかもしれない。ニュートンは「科学者」ではなかったのか、ガリレオ(1564-1727)は、コペルニクス(1473-1543)はどうか。ニュートン(1642-1727)が死んだのは1727年のことである。今から250年あまり前のことだ。しかしニュートンは「科学者」と4でよいのではないか私は、その反論には「ノー」と答えたい
村上陽一郎 『科学者とは何か』 34ページ

 

緑色で抽象的に言って、橙色で具体例を出しています。この文の場合は更に予想される反論について論駁を試みようとしてもいます。これを読んだ読者は、この先に『ノー』という根拠がかれてあるのだな、と予想できます。

4.次から何が書かれるのかを示す言葉が使われている。

上の引用例でも示したとおりです。「次から○○を書きます」と宣言してから文章を書きます。これは接続詞(しかし、ところが、ゆえに、したがって、等)で代用されることもあります。

5.入れ子構造になっている

見落とされがちだけれども、最も大事なのはコレだと思います。ガチガチのパラグラフライティングされた文章は完全なる「入れ子構造」になっています。

パラライにおける「入れ子構造」とは、1.から4.で書いた性質が一つ一つのパラグラフに当てはまるだけでなく、文章の構成にも当てはまる性質のことを意味しています。言い換えましょう。数個のパラグラフが合わさってひとつの「中パラグラフ」を作り、「中パラグラフ」同士があたかもひとつのパラグラフになったかのように繋がっている状態です。更には中パラグラフがいくつか合わさって大パラグラフとなり、大パラグラフ同士でさらに関係し合います。

これだけだと何を言っているのかわかりにくいので、具体例を出します。ここで使うのは目次です。先ほど引用した『科学者とは何か』の目次ページをちょっと書いてみます。

III科学者共同体の形成
1.科学者とその共同体
科学者の誕生
科学者とは何か
~中略~
専門学会の形成
2.技術の状況
技術の伝統
国家が養成する技術者
アントレプレヌールの活躍

 

先ほど引用した箇所は「科学者の誕生」という小見出しの出だしのパラグラフまるごとです。項目「科学者の誕生」ではその後、数パラグラフが続きます。おわかりの通り、見出しにかかれたことの説明が以後のパラグラフでされているわけです。

同様に「科学者の誕生」という中パラグラフは、その後の「科学者とは何か」、「専門学会の形成」…という中パラグラフと関係しあっています。そして中パラグラフの集まりが、大パラグラフ「1.科学者共同体の形成」をつくります。ここまでくるともうおわかりですね。さらに大パラグラフは大パラグラフとからみあい、特大パラグラフをつくり、特大パラグラフは超特大パラグラフを作っていくのです。

きちんと書かれた本は以上のような構造を踏襲しています。もちろん、下手クソな文章を書く人はパラグラフ構造を守ってない場合もあったりします。とりわけパラグラフ単体のつながりや、小パラグラフ同士の関係性は文章の巧拙がでやすい傾向があるような気がします。

 

以上で終わりです。スッキリとした文章にすれば読みやすくなりますよね。できるだけそう書きたいものです。しかし、スッキリさせないで書くやり方もあるといっちゃある。それは文章力のなせるわざで極めて難しいといわねばならないでしょう。

もう一度生存報告

週末くらいから更新の再開をしようと思います。そういう「気分」になってきたので。

 

 

次は『Brink』でもやろうかと思います。そのまえにクゥォンタムセオリーやらなきゃなあ。