機動戦士ガンダム バトルオペレーションの売り方

『機動戦士ガンダム バトルオペレーション』の売り方はアーケードゲーム、オンラインゲーム、ソーシャルゲームの売り方を取り込んでいて、記録するに値すると思います。

どういうゲーム?

『機動戦士ガンダム バトルオペレーション』はTPS方式の少人数で戦う対戦ゲームです。1ゲーム8分で終わります。そしてゲームが終わった後に支給されるポイントやアイテムを使って、新しいMS(モビルスーツ、要は機体)を手に入れたり性能を上げることが出来ます。取り立てて変わったところのないゲームですね。

どのようなゲームでどのような料金体系なのか?、は4gamerの記事も参照すると良いと思います。
http://www.4gamer.net/games/150/G015049/20120612007/

どういう方法で利益を上げている?

『機動戦士ガンダム バトルオペレーション』は基本無料アイテム課金方式の料金体系を採用しています。無料部分はソーシャルゲームのような方式です。

お金がかかるのは主に二点。
1.対戦をするために必要なポイントの購入
アーケードゲームで100円を投入してゲームを遊ぶ様子を想像してもらうと分かりやすいと思います。『バトオペ』の場合は一日数ゲームほど無料で遊べますがそれ以上に連戦をしようとするとお金がかかります。そのかわりゲームのクライアントは無料で配布されてます。

「一日数ゲーム遊べる」と書きましたが、これは正確ではありません。正確には「一回無料で遊べるアイテムが二時間ごとに支給される」です。二時間経てばタダで遊べるというわけです。

2.機体を最大まで強化するためのポイントを購入
いわゆる「アイテム課金方式」と呼ばれている料金体系です。

『バトオペ』はけっこうな利益があるらしいです。対戦一回ごとにお金がかかるアーケードゲームのような方式を使っているため、継続的に売り上げが出るのでしょうね。そして無料で遊べる回数もあるから、一見すると財布にもやさしい。売り上げについては日経産業新聞9月21日の一面も参照してください。

面白いかどうかと言われると・・・

でまあ『バトオペ』が面白いかと言われると、今からわざわざ遊ぶには厳しい面があります。詳しくは書きませんが、私のように新しくやろうとするとずっとカモになってしまうようなシステムなんですよね。

しかしモビルスーツを操っていると感じさせる重厚な操作感は戦争っぽいですし、細かいモーションや細部まで描かれたMSの数々は原作を尊重していてツボは押さえていると言えるでしょう。

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『ファイアーエムブレム』シリーズを簡単に振り返る

考察サイトなども豊富なファイアーエムブレムシリーズ。語り出すと止まりませんよね。今回は「よく言われていること」を再構成して自分なりの意見を残しておきます。割とマニアックな話もあります。それと私は『ファイアーエムブレム』シリーズ以外の戦略シミュレーションはほぼ未経験かつ、ファイアーエムブレムも『蒼炎の軌跡』までしかフォローできていません。あしからず。

「刷新」と「揺り戻し」を繰り返すシリーズ

10作以上の展開を見せている長寿シリーズを見渡すと、「刷新」と「揺り戻し」が頻繁に行われているのが特徴だとわかります。違う言い方をするなら、システムやストーリーの「新たな冒険」と「伝統への回帰」を繰り返しています。シリーズの流れをみると「野心的な作品→手堅い作品→野心的な作品→手堅い→・・・」となっているのです。ただし一つの作品にも「刷新」と「揺り戻し」の両要素が含まれてはいます。

これほど明確に作られているシリーズというのもある種珍しいと思います。躊躇なく過去作への回帰をしたり、シリーズの伝統を壊さない程度に新システムを入れ、次作で新システムをマイルドに調整する・・・。製品ごとの目標がしっかりと据えられており、また反省をしっかりと行っているのが伺えます。ですから何をやりたいのか理解しやすい要素ばかりで構成されている。

「刷新」と「揺り戻し」の視点を使ってしまうと、ありとあらゆる要素を語れてしまう。そんなゲームです。本記事では「ユニットの死亡」という観点から「刷新」と「揺り戻し」を考えてみます。

ユニットの死亡は何を意味していたか?

 

本記事ではファイアーエムブレムの紹介文を公式サイトから引っ張り、初代『暗黒竜と光の剣』と『トラキア776』の共通点を指摘します。

(ファイアーエムブレム以前の)それまでのシミュレーションゲームでは、使い捨ての駒にすぎなかったユニットを、個性あるキャラクターとすることで、『ファイアーエムブレム』は、単なるシミュレーションゲーム+ロールプレイングゲームには終わらない、新しい楽しさを生み出しました。

はじめは弱かったキャラクターが、戦いを通して少しずつ成長していく喜び。
ピンチになっても、そのたびに窮地を救ってくれたキャラクターの頼もしさ。
敵だったキャラクターが、味方の説得によって仲間になったときのうれしさ。

これらはみな、「ユニット」=「キャラクター」だからこそできた感情移入の賜物です。そして、それは同時に、「ユニットを失わずにクリアするには?」「ユニットをもっともっと育てるには?」といった、それまでのシミュレーションゲームにはなかった新たな戦略性をもたらすものでもありました。

ここに書いてあるとおりの目新しさがファイアーエムブレムにはあったと”公式”の説明です。ただし初代はそれほどリセット(=キャラクターを失わないでプレイ)を前提としないシステムでゲームが作られていた、との開発者インタビューやファンの憶測も残っています。

このリセット無視プレイ。意外と見過ごされがちなので少々話をしてみます。

初代『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』はキャラクターの死去にあまり気を遣わなくても進めてしまうようになっています。理由は簡単、「同じジョブのキャラクターが数マップごとに登場するから」です。アーマー系のキャラを見ると、ドーガ(1章)→ロジャー(8章)→トムス&ミシェラン(12章)→ロレンス(20章)となっておいて、後ろにいくほど使い勝手が多少なりとも向上します。同様に魔法系、傭兵系、ナイト系、飛行系のキャラクターが章をまたいで割とまんべんなく分布しています。

加えて、死んだキャラクターを生き返らせる方法も一回のみ存在します。ということで誰かが死んだままゲームを進めることを念頭に置いてゲームがデザインされていたと憶測しても問題ないのではないでしょうか。まあ、不慮の事故への救済要素ということもできなくはないですが(救済システムが端的に現れているのが「外伝」だったりする)。

ストーリー的にいえば、死んだキャラクターがいることによって一部のキャラクターの後日談の意味が変わることも指摘したい。どういうことなのかというと、ベストエンディングが正統な物語ではないことを示しているのです。おそらく、戦死してもそれは各プレーヤーごとの物語であり個人個人のアカネイア大陸史である、と、そんな意味が込められているのではないかと思われます。後のシリーズと比べてもゲーム自体に「(敵の必殺による)自軍ユニットが死ぬ可能性」が色濃いことも死が一つの物語であることを意味しているのではないでしょうか。

リセットが前提とされるようになる後発シリーズ

ところがシリーズの礎というか方向性を大きく定めた定番作の『紋章の謎』(シリーズ3作目にあたる)は完全にリセット推奨です。全キャラクター生存&特殊アイテム入手でベストエンディングを迎えられるからです。これが悪い意味で後発シリーズを規定してしまった面があるように思えます。

もともとリセットを必要としないゲームシステムを構築しておきながら、『紋章の謎』はユーザーで培われたノーリセットプレイを推奨しているのですね。それによってファイアーエムブレムはシリーズのアイデンティティを高めることにもなったのでしょうし、悪いとは言いません。しかし今は敢えて悪い側面を指摘してみましょう。

「全員生存」でせばまる遊び方

念を押しておきます。リセットを前提とした全員生存プレイがファイアーエムブレムらしさを形作り、またキャラクター性を生かした遊び方を生んだのは事実です。疑いありません。

ただしここで問題となる要素がいくつかあります。
一つ目は使われるキャラクターの問題です。ユニットが死んでしまわないように遊ぶには強いユニットを使わざるを得なくなります。最初期から加入するたたき上げユニットや成長率の高いユニットを優先的に使ってしまいがちなのですね。
二つ目は経験値の問題です。シミュレーションRPGというゲームの構造上、各ユニットは経験値をためてレベルアップしていきます。仮にユニットを死亡させて失った場合、それまで蓄積してきた経験値を無駄にしてしまう。ですからプレイヤーとしては、経験を蒸発させてしまうユニットの死亡には神経質になってしまうのです。「一つ目の理由」で使われているキャラクターを更に使うようになる心理的要因は見逃せません。
三つ目は捨て駒プレイや使い捨てプレイへの抵抗感です。全員生存させようとするプレイと、一人失っても良いから進むプレイは別物と言って良い。動画サイトでノーリセットプレイを見てみれば分かりますけれど、全員生存を前提とする遊び方とは全然違います。システムの穴を突いたり、ユニット数の限界で苦し紛れの戦術を駆使していく様子をそれぞれのプレイヤーが試行錯誤しているのです。こういうのを見ると私は「ファイアーエムブレムの遊び方ってこうあるべきだったのではないのか?」とさえ思ってしまいます。

「ノーリセットに近い意味をもつキャラクターの死」を容認する『トラキア776』

実はシリーズ中で使い捨てプレイを容認する作品があります。それが『ファイアーエムブレム トラキア776』です。高い難易度や独特のシステムでマニアックだと言われていますね。もし『トラキア776』でさっさとクリアしたいと考える場合、言い換えるならクリア後の評価を高くしようとする場合、”捨てキャラ”を用意した方が楽に進めてしまう場面がけっこうあるのです。あるいは仲間にしなくても問題のないキャラクターが何人もいる。

この『トラキア776』はコンセプトが他のシリーズとは明らかに違います(またいつかは稿を改めて語ってみたい気もしますがそれはいい)。自軍に余力がない状況下での厳しい戦闘を強いられる場面や、特殊なイベントやフラグたてが多いのです。よってパーフェクトに遊ぼうとすると、言い換えるなら全員生存かつ隠しアイテムを入手しようとすると、とんでもなく面倒になってきます。なぜそんなことをしているのか?パーフェクトプレイはやらなくても良いとされているから、なのだと思います。

キャラクターをロストしても、アイテムを取り逃しても、「さっさと進めてどうぞ」という作りになっている。しかし『トラキア776』には難易度の高さ故かハマり要素が結構見受けられます。どんどん進めていくとそうとう厳しい戦いに直面せざるを得ない。そこら辺がSFC最後を飾るマニアックなソフトの矜恃なのかもしれませんが。

さて『トラキア776』の作りを説明していくと一つ面白いものが見えてきます。ファイアーエムブレムシリーズで俗に言う「リセットありプレイ」というのは、つまるところ「キャラクターをロスト(死亡)させないプレイ」だったと言い換えることができます。ですから全員生存プレイとリセットありプレイは密接に結びついていた。しかし『トラキア776』はクリア後の評価と、極限状態での張り詰めたステージを組み合わせました。そのおかげでキャラクターロスト(或いは仲間になるキャラクター無視)の意味を薄れさせています。すでに上の王で私は初代『暗黒竜と光の剣』が「キャラクターの死去にあまり気を遣わなくても進めてしまう」と指摘しました。つまり、キャラクターの死亡を苦にもせず遊ぼうとする方向性が『トラキア776』で復活したと言えるでしょう

ファイアーエムブレムシリーズは「刷新」と「揺り戻し」を繰り返しているのです。新奇性と丁寧な作りを秘めた長寿シリーズの秘訣なのだと思います。

ロッコちゃん(無料フラッシュゲーム)の紹介

ロックマン風の無料で遊べるフラッシュゲームが公開されています。面白いし遊びやすいのでオススメ!
ロッコちゃん(外部サイトへ飛びます)

今日の記事は『ロッコちゃん』の紹介をします。

 

概要

『ロッコちゃん』の作者は『人生オワタの大冒険』も開発したキングさんです。『人生オワタの大冒険』最終版ができあがったのは2009年、『ロッコちゃん』の製作や構想はそれからまもなく進められたらしいです。ということは『ロッコちゃん』の製作には2年近くかかっておる計算になります。こういった個人製作のゲームは納期などに縛られず自由に作れる反面、未完のまま終わったりすることが多い。また独りよがりなゲームシステムや内輪ネタ、版権スレスレのネタを詰め込んでることもたびたび見られます。しかし『ロッコちゃん』にはそういったことがありません。誰でも安心して遊ぶことができます。ロックマンシリーズをリスペクトした作りに手抜かりもなく、ゲームバランスも良好です。数多ある無料ゲームの中でもクオリティは上位の部類に入ると思います。

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フルスクラッチの魅力

ゲームを起動してまず目を奪われるのがドット絵のグラフィックです。オープニングの手の入れられ方はかなりのものです。そしてゲーム中のキャラクターもパターンが多く用意されているおかげで、キャラクターが滑らかに動いてくれます。ドット絵はパターンを一つずつ描かなければならないために思ったよりも時間がかかってしまうもの。根気強くドット絵を打ち込まなければならないのですね。3D絵とはことなる魅力があります。

主人公のロッコちゃんをはじめとして、6体のボスキャラクターやマッドステージのボスはもちろん既存のロックマンボスの流用ではなく、新しく描かれているのも注目ですね。というか『ロッコちゃん』はロックマンのリスペクトではありながら、同じ絵柄の敵がいない。似たような敵や場面は多いとはいえ、全てが一から描かれているのです。あたかもロックマンと同じ世界軸で物語が展開しているようなイメージさえ覚えます。「極端な作者の趣味」を入れていないと言っても良いかもしれません。

非商用(同人)ゲームにありがちな話

フルスクラッチの魅力はプログラムの中身についても言えるでしょう。なぜならインターネットで流通しているゲームの中には著作権に違反しているものがけっこうあるからです。『ロッコちゃん』はそういうものを極力排除しつつ、いかにロックマン風味にするか、に苦心したに違いありません。

例えばニコニコ動画などで「改造マリオ」(「改造ロックマン」でも良い)と検索してみるとウジャウジャ見つかります。「改造」とは何事か、という話を手短に説明しますと、「元のゲームからデータを抜き取って再構成したもの」や「元のゲームのデータを書き換えて別物にしてしまったもの」を主に指します。人は自己責任で改造版を遊んでいるそうですが、やはり見ていても気分は良くありませんね。その点、『ロッコちゃん』の作者は安易な方法を選ばずに全て一から作り上げています。フラッシュで公開されていることも含めて、誰でも安心して遊べます。

同人ゲームにありがちな話としてはもう三つ挙げておきましょう。ひとつは製作の失敗です。納期が決められていないためにずるずると製作が延び延びになってしまい、結局未完成のまま放棄されてしまう・・・というのは本当によくあります。ですから2年も書けて完成したこと自体が賞賛されても良いと思います。あとはチームで開発を行うと仲間割れや中心人物の離脱によってプロジェクトが空中分解するなんてこともありますね。二つ目のありがちな話は、作者の好みが出過ぎる点です。個人製作だから仕方がないと言えばそうなんですが、アクの強さは魅力にも欠点にもなり得ます。『ロッコちゃん』の場合、尖った要素を削り落としてかなりマイルドに味付けされています。ロックマンをやったことがある人であれば誰でもすんなりと入り込めるし、独りよがりな設定になってもいません。三つ目は難易度ですね。どうしても個人で作ったゲームは難しすぎるものが多い。一部の人に遊ばれるだけで良いと考えて作ったらそうなる、と毒づきたくもなりですが、その実は単なる調整不足が原因だったりします。ゲームでいちばん面倒なのがバランスをとることにあります。「終わり」が見えないからです。

 

ロックマン風、細部の調整

ロックマンシリーズと難易度の調整具合を見ると、やや易しめの部類と同じような感じです。さすがに『5』や『6』のように簡単ではありませんが、敵の攻撃パターンを読んだり弱点を突けば一気に押し切れるようになっています。『9』や『10』よりも簡単だと思います。敵ボスは6体で少々寂しい気もしますが、統一感をもたせるためにはこれくらいがちょうど良いのだと思います。ボスが多くなるとどうしても特殊武器の差異が分からなくなったり、あるいはボス戦くらいにしか使えない特殊武器がどうしても複数出てきてしまう。そしてボスのパターンも同じようなのが出てきたりしてしまう。ロックマンシリーズを見ていると明らかにそうした失敗をおかしているものがあります。

細部の調整については、タイムアタックができるように敵の配置を工夫している点、特殊武器の使い方によって楽になる場面が多い点、一撃死や「知らなければ死ぬ」トラップを少なくしている点、が優れています。ああもちろんロックマンシリーズで重要なのはこういったバランス面にあるのは改めて言うまでもありませんね。『ロッコちゃん』は本家に遜色ない、と言って良い。いやむしろ遊びやすさという意味では勝っているのではないかと思います。

 

応援するには言及を

遊びやすさについては、難易度のちょうど良さと無料フラッシュゲームであることを指摘しておきましょう。難しい場面を攻略して達成感を得るのがロックマンの魅力であることは疑いありません。しかし不必要に難しいのはどうなのでしょうか。正直言って『9』や『10』はけっして易しくはなかった。それが批判の的ともなっていました。万人向けにはもう一段階下げた方が適切と私は思っていた。そう考えると『ロッコちゃん』はかなり万人向けと言えるのではないでしょうか(もうちょっと下げても問題ないとは思うけれども)。でも上手な人にはタイムアタックやオワタモードがあるのですから。

個人的な話なのですが、『ロックマン11』がカプコンから出てこなくて私は落胆していました。そんなところに『ロッコちゃん』が現れたわけで、すごくうれしいのです。しかも遊びやすい。作者にお金が還元されないのはどうなの?という意見もあるようです。しかしインターネットの世界にはお金に代わる者があります。それが「ヒット数」と「無数のフィードバック」です。わざわざ無料のフラッシュゲームで日本語版と英語版を公開したのもそういった意味があるのだと思います。ウェブサイトやっていると分かるのですけれども、一人でも多くの人に見ていただけるとそれだけで励みになるのです。感想やコメント頂けるとなおのこと、です。『ロッコちゃん』は無料で公開され、数千数万人に遊ばれ、ニコニコで実況され、海外へも発信されています。そうして自分の生み出したコンテンツが社会で消化される。私がブログで取り上げたように、何人もの人たちが言及する。まさに作者冥利につきるのではないでしょうか。

クォンタムセオリー その2

パクリだ、パクリだ、と言ってばかりいたら気分が悪くなったので、『クォンタムセオリー』が『ギアーズオブウォー』を参考にして改良したと思われる点を少しだけ書き付けておきます。

 

1.ボス戦が多い

でかいボスとの戦いがけっこう用意されている。

 

2.リアルタイム演出をやろうとしている

ムービーで語らせる・・・、カットシーンで語らせる・・・、という面は消えていませんが、プレイヤーの目の前で地形がガンガン変わっていく演出があります。

 

3.美人のヒロインがいる

と言っても、日本系のゲーム内美人キャラなんで「浮きすぎ」ている面もあります。主人公のゴツさや、マップのいかめしさとは水と油なんです。

 

4.とにかく戦闘が多い

これでもか、これでもか、というくらいに敵との戦闘に明け暮れます。

 

 

でもねぇ、やっぱり『ギアーズ』のパクリなんですよね。ダッシュのシーンとか、銃を撃つときに拡大するときとか、まさにギアーズそのもの。

 

 

クォンタムセオリー

『ギアーズオブウォー』の劣化。もといパクリ。それが『クォンタムセオリー』であります。作ったのはテクモ。日本のメーカーです。

 

同じ日本人として情けないというか、何というか。あまりにもギアーズギアーズしすぎです。ここまで露骨なゲームを作ってしまうのは、恥ずべきでしょう。確かに日本のメーカーがTPS(アクションシューティングゲーム)を作ってこなかった。だから「習作」として『クォンタムセオリー』は作られたのかもしれません。しかしあまりにも似すぎています。もっともっと違う方向性のゲームを作っても良かったと思うのです。

 

 

それでも『クォンタムセオリー』がすばらしいゲームであったなら、つまり言い換えれば『ギアーズオブウォー』を超えるゲームであったのなら何にも文句は出ないでしょう。さしずめ『バイオハザード4』にたいする『デッドスペース』なら問題なんて出てこなかった。ここまでの書き方から分かるとおり、『クォンタムセオリー』は微妙なゲームです。敵のAIは高度ではないし、「敵の攻撃を当てて、避ける」厳密性がほとんどない戦闘シーン、奇妙な演出、等々、どうにもこうにも残念です。

 

ただしゲームとしちゃ割とまとまっている方だと思います。なにせ「ギアーズのパクリ」ですからね。ギアーズばりの戦闘シーンが豊富です。但し、何度も言うようにギアーズしすぎです。