書評 さやわか『僕たちのゲーム史』

本書の目的意識

 著者は次のようなビジョンをもってビデオゲームの歴史を見ている。日本は物語性を重視したゲームを長年作り上げていき、一方のアメリカはゲーム内への没入性や競技性を重視したゲームを作り上げてきたという視点である。この視点にたって日本のゲームソフトの歩みを黎明期から現代へと見ていき、海外はさらっとふれる程度に紹介をしている。
 「物語をどのように扱うか?」を軸にして日本のゲーム業界をみていくと、やはりスーパーマリオブラザーズやアドベンチャー・RPGが中心になっていく。もちろん逆に言うと、RPGやスーマリこそ日本を代表するゲームなのであり、物語重視の傾向は日本では顕著なのである。
 著者は過去の文献を丁寧に渉猟し、「当時どのように考えられていたか」を綿密に明らかにしている。なのでスーパーマリオブラザーズが今日いわれるジャンプアクションゲームではなく、アドベンチャーゲームとして売られていた、という驚くべき事実も明らかになっていく。

内容

 最初はスーパーマリオブラザーズを詳細に検討し、後のゲームへと繋がる画期的な要素として物語性に見出している。というのもスーパーマリオブラザーズは画面を自由に動かし進んでいくタイプのゲームであり、山あり谷ありの豊かなロケーションを旅する物語でもあるからである。自由にどこにでもいけるため、そこに一種の奥深い物語が生まれる。後のゲームはその奥深さを追求することになるのである。
 アドベンチャーゲーム、シミュレーションゲーム、どれもが物語を巧みに扱ってきたと著者は見ている。そして、無縁とさえ思える格闘ゲームでもキャラクターという物語を取り込んだストリートファイターが大ヒットしたことを踏まえ、物語とのつきあい方が日本のゲーム業界を貫く一本槍であったと述べている。
 以上のような物語とのつきあいが最高潮に達するのが1997年の『ファイナルファンタジー7』や『YU-NO』である。RPGは『イース』以降に物語を重視する方向を推し進め、また『YU-NO』は物語をそのままゲームとして提示しようとするノベルベームに分類される種類のゲームである。どちらも97年に発売され、97年以後はゲーム業界の売り上げが低下していくという点で著者によるとかなり意味深いことでなのであった。
 と同時に97年以降、同人ゲーム、ポケモンといったものが売れていく。同人ゲームはノベルゲームが中心となって活気を呈し、00年代には東方シリーズがシューティングゲームにキャラクター性を取り入れ爆発的大ヒットをとばす。また、とりわけポケモンはゲームに「ゲーム外コミュニケーション」を取り入れた画期的なゲームであったとされる。なぜなら次の時代以降もゲーム外のコミュニケーションを重視させようとする傾向が強くなっていったからである。その代表例が『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』であった。このゲームは謎をちりばめていってゲームの中で多くを語らず、ユーザーコミュニティがゲーム世界の姿を語り合っていくというものであった。ユーザー同士の交流を促進しようとした点でゲーム外コミュニケーションの代表例と言えるだろう。
 そして時代は下り、現代ともなると、ゲーム内外のコミュニケーションに差がなくなってくる。物語中心のゲームは斜陽となり、技術力の向上も相まって、オンラインゲームが流行するのだ。例えば『モンスターハンター』はオンラインゲームでもありながらゲーム外コミュニケーションゲームでもありうる代表例である。ソフトとハードをもちより他人と遊ぶオンライン要素と、高校生なんかがコミュニケーションをとる手段として一緒に遊んでいる姿を思い浮かべてみれば明かであろう

 ついでにいいえば00年代半ば頃からアメリカのゲームが日本へ頻繁に紹介、ローカライズされ一定の市民権を得ている現状を、アメリカのゲーム事情とからめてちょっと紹介してある。

評価

 「物語の扱い方」を軸にゲームソフトの歴史を俯瞰した結果、ブレのない記述ができている。いままで明確な方法を意識したゲームソフトの通史が少なかったため、今後は『僕たちのゲーム史』は必読文献となりうるに違いない。また、文献を引用する方法もきちんとしており、ビデオゲームの批評のみならず研究をする際にも十分に耐えうる本である。当時の資料を発掘していく中でスーパーマリオブラザーズのアドベンチャー性など、新たな事実を発掘している点は誰もが驚くだろう。同人ゲームやノベルゲームへと目を配っている点は東浩紀などの議論を踏まえており、先行文献からのつながりもしっかりと得ている。
 しかし問題点はいくつか指摘できよう。まず海外ゲームの扱い方が簡素でしかありえず、「僕たち〈日本人の経験した〉ゲーム史」になっている点が指摘できる。著者の見方によると物語をどのように扱うかが海外と日本では異なるとのことだが、00年代半ばからは物語を重視する海外ゲームがどんどん作られ日本でも発売されている。このような状態を上手く説明できてないように思われる。
 次にサッカーゲームやレースゲームなどの純粋な競技に近いゲームソフトの歴史が抜け落ちている点も指摘できる。海外ゲーム事情の端折り方も含め、著者の取捨選択によって紡ぎ出された通史は魅力的ではあるが、わざととはいえ見落とされているのもたくさんあると言えるだろう。むしろ著者がツイッターで述べていたように、『僕たちのゲーム史』で書ききれなかった要素を補完していく研究が今後望まれる。