書評  多根清史『教養としてのゲーム史』(ちくま新書、2011)

本書の概要

 『教養としてのゲーム史』は、ビデオデーム愛好者の内々で語られ共有されてきたオタク語りともいえる薀蓄・レビュー・考察をわかりやすい形でまとめ(p10とp212参照)、著者独自の見解も入れながら、主に80年代と90年代初頭のビデオゲームソフトウェアを解説した本である。その際の視点は、ハードウェアの制約がソフトウェアに与える影響、ソフトウェアが次の時代に与える影響(著者は「進化」と呼ぶ)に重点を置いている。

 ところでオタク語り言説を分かりやすい形で整えた本に、同様な名前の大塚英志,ササキバラゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』(講談社現代新書)がある。そちらでは端的に言えば、「後世に残されるべきまんがとアニメを紹介する」のが役割であるとまえがきで宣言されている。『教養としてのゲーム史』もまた同じ目的意識をもった本と言えるだろう。ただし、教養の意味が〈まんが・アニメ〉の場合は本の内容と結びついているのに対し、『教養としてのゲーム史』は「ゲームを語るなら知っておきたいよね」というスタンスで意味づけされている点に違いがある。

内容の簡単な紹介

 著者が大枠で使った視点が「固定画面」「スクロール画面」「ロールプレイングゲーム」「シミュレーションゲーム」である。
例えば「固定画面」ではファミコン以前の『ポン』から『ブレイクアウト』『スペースインベーダー』『ギャラクアイアン』に続く固定スクロールゲームを具体的に見て、ひとつのゲームが次のゲームにどのような影響を与えたのかをハードウェアの性能向上(=ハードウェアの進化)、とソフトウェアの改良(ソフトウェアの進化)の両輪による螺旋状の進化になぞらえている。
 「スクロール画面」についても『スクランブル』『ゼビウス』『スーパーマリオブラザーズ』が進化の過程に描かれ、「ロールプレイングゲーム」も『ウィザードリィ』『ドルアーガの塔』『ハイドライド』『ドラゴンクエスト』と、有名なゲームに連なってゆく様子が書かれている。
「シミュレーションゲーム」は論理展開が少し逆転している。そこで現実を写し取ろうとする欲望の中でハードウェアとの制約と格闘しながらソフトウェアがどんどん現実へと近づく模様(進化)が描写されるのだ。

評価

全体的に進化の過程を描き出そうとする点は成功しており、著者独自の見解(「見立て」など)も面白い。と同時に紙面の都合もあるのだろうが、中途半端な地点で終わっている箇所が多い。果たして『スーパーマリオブラザーズ』以降のスクロール、箱庭ゲームがどうなったのかが書かれていないのだ。他の要素についても言えて、著者のやりかたは80年代のビデオゲームを分類するには非常に最適なのだが、90年代半ばに入って3D化がすすんだあたりで限界が来てしまう。そこで話が一気に飛んでしまい、『ときメモ』から『ラブプラス』に話が飛躍し、終わってしまうのだ。また、海外ゲームについての考察も不十分である。進化という意味ではサッカーやレースゲームも適当な例にあげられようが、本書では全くふれられていない。

3Dゲームの語りにくさは決して著者の問題にのみ帰着されるわけではない。2Dとは異なる枠組み、そしてハードウェア論争によってゲームソフトを語る楽しさは一歩引いてしまった感が90年代~00年代にはあるのだ。その語りにくさを如実に示している本と言えるだろう。