「映画的」なゲームについてのメモ(論考ではない)

「映画的なゲーム」という表現は20年以上まえから使われている表現なのですが、定義が与えられていないまま漠然と使われています。同じような言葉に「ゲーム性」や「自由度」があります。ここで単純に言葉の使用を批判してもよいのですが、私はむしろそのような言葉が使われているのななぜだろうかと考えたほうが良いと思っています。おそらくビデオゲームを考える上で重要な何かが潜んでいるのです。

ゲームを語る上で使われる言葉「映画的」にはいくつかの意味がまぎれこんでいます。

1.映画で使われている表現方法を精査し、ゲームに移植してみたかどうかをみる立場

たとえばコンティニュイティ編集を利用しているか、モンタージュを意識しているか、といったもの。20世紀はじめごろに確立し、こんにちでも使われている映画の手法をなぞっているかというわけです。

2.スポーツのように勝敗を決める側面だけでなく、豊かな叙情性などの物語をゲームに導入したかどうかをみる立場

小説的と言い換えても良いでしょう。わざわざ映画的と言っている理由は、ゲームと映画はどちらも映像を使った表現方式だからだと思います。あとは社会的に程度が低いビデオゲームが、割と高い映画への対抗意識を燃やしている可能性もあるでしょう。

3.自分でキャラクターを動かせない場面があるかどうかをみている立場

「2 」と若干違います。3は単に操作できないカットシーンが紛れ込んでいるかどうか、といいかえても良いと思います。2の場合はたとえばリュウ、ガイル、ザンギエフ等の個性的な面子がいる『ストリートファイター2』なら物語性の導入を意識しているといえますが、無個性な空手家、軍人、レスラー等がでてくる『ストリートファイター2(もちろん架空のゲームです)』なら物語を意識していないといえます。ややこしくなるのでここではキャラクターと物語の関係はみません。

4.ゲーム作成の方法が映画製作とにているかどうか

予算を引っ張ってくるプロデューサーがいて、その下に製作のトップであるディレクター(=監督)がいて、そこからグラフィック・ミュージック・バトルプログラム・シナリオ・等々のディレクターがいて・・・といったような意味合いです。ただ、現代の大規模なゲームはほぼこのような方式になっているみたいですね。


でまあ、ちょっと意地悪な言い方をしますけれど、ネットとか雑誌でほとんどの人が映画的~と言うときは「2」か「3」、とくに「3」のカットシーンの連続を指しているようなことが多いと感じます。あんまり意味もなく使っているのかもしれません。

『メタルギアソリッド』で有名な小島秀夫は「1」を中心に「2」を意識しているのかな、と思います。ファイナルファンタジーシリーズは明らかに「1」よりも「2」重視です。

最近いろいろなゲームで目にするQTE(クイックタイムイベント)は映画のような映像を見せながら、なんとか操作をさせようとする方法です。これは「1」と「2」を重視すると批判されやすい「3」をどうにかして組み入れようとした結果だと思います。先月発売された『バイオハザード6』はずいぶん1を意識しています。『バイオ4』はいまいちでしたが『バイオ5』から意識的にQTEの可能性を模索しているといっていいかもしれません。

 

あと注意してほしいことなんですが、この記事はファミ通バックナンバーやネット掲示板の過去ログすべてを見てから意味の違いを分けているのではありません。あくまでも印象論です。