『ファイアーエムブレム』シリーズを簡単に振り返る

考察サイトなども豊富なファイアーエムブレムシリーズ。語り出すと止まりませんよね。今回は「よく言われていること」を再構成して自分なりの意見を残しておきます。割とマニアックな話もあります。それと私は『ファイアーエムブレム』シリーズ以外の戦略シミュレーションはほぼ未経験かつ、ファイアーエムブレムも『蒼炎の軌跡』までしかフォローできていません。あしからず。

「刷新」と「揺り戻し」を繰り返すシリーズ

10作以上の展開を見せている長寿シリーズを見渡すと、「刷新」と「揺り戻し」が頻繁に行われているのが特徴だとわかります。違う言い方をするなら、システムやストーリーの「新たな冒険」と「伝統への回帰」を繰り返しています。シリーズの流れをみると「野心的な作品→手堅い作品→野心的な作品→手堅い→・・・」となっているのです。ただし一つの作品にも「刷新」と「揺り戻し」の両要素が含まれてはいます。

これほど明確に作られているシリーズというのもある種珍しいと思います。躊躇なく過去作への回帰をしたり、シリーズの伝統を壊さない程度に新システムを入れ、次作で新システムをマイルドに調整する・・・。製品ごとの目標がしっかりと据えられており、また反省をしっかりと行っているのが伺えます。ですから何をやりたいのか理解しやすい要素ばかりで構成されている。

「刷新」と「揺り戻し」の視点を使ってしまうと、ありとあらゆる要素を語れてしまう。そんなゲームです。本記事では「ユニットの死亡」という観点から「刷新」と「揺り戻し」を考えてみます。

ユニットの死亡は何を意味していたか?

 

本記事ではファイアーエムブレムの紹介文を公式サイトから引っ張り、初代『暗黒竜と光の剣』と『トラキア776』の共通点を指摘します。

(ファイアーエムブレム以前の)それまでのシミュレーションゲームでは、使い捨ての駒にすぎなかったユニットを、個性あるキャラクターとすることで、『ファイアーエムブレム』は、単なるシミュレーションゲーム+ロールプレイングゲームには終わらない、新しい楽しさを生み出しました。

はじめは弱かったキャラクターが、戦いを通して少しずつ成長していく喜び。
ピンチになっても、そのたびに窮地を救ってくれたキャラクターの頼もしさ。
敵だったキャラクターが、味方の説得によって仲間になったときのうれしさ。

これらはみな、「ユニット」=「キャラクター」だからこそできた感情移入の賜物です。そして、それは同時に、「ユニットを失わずにクリアするには?」「ユニットをもっともっと育てるには?」といった、それまでのシミュレーションゲームにはなかった新たな戦略性をもたらすものでもありました。

ここに書いてあるとおりの目新しさがファイアーエムブレムにはあったと”公式”の説明です。ただし初代はそれほどリセット(=キャラクターを失わないでプレイ)を前提としないシステムでゲームが作られていた、との開発者インタビューやファンの憶測も残っています。

このリセット無視プレイ。意外と見過ごされがちなので少々話をしてみます。

初代『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』はキャラクターの死去にあまり気を遣わなくても進めてしまうようになっています。理由は簡単、「同じジョブのキャラクターが数マップごとに登場するから」です。アーマー系のキャラを見ると、ドーガ(1章)→ロジャー(8章)→トムス&ミシェラン(12章)→ロレンス(20章)となっておいて、後ろにいくほど使い勝手が多少なりとも向上します。同様に魔法系、傭兵系、ナイト系、飛行系のキャラクターが章をまたいで割とまんべんなく分布しています。

加えて、死んだキャラクターを生き返らせる方法も一回のみ存在します。ということで誰かが死んだままゲームを進めることを念頭に置いてゲームがデザインされていたと憶測しても問題ないのではないでしょうか。まあ、不慮の事故への救済要素ということもできなくはないですが(救済システムが端的に現れているのが「外伝」だったりする)。

ストーリー的にいえば、死んだキャラクターがいることによって一部のキャラクターの後日談の意味が変わることも指摘したい。どういうことなのかというと、ベストエンディングが正統な物語ではないことを示しているのです。おそらく、戦死してもそれは各プレーヤーごとの物語であり個人個人のアカネイア大陸史である、と、そんな意味が込められているのではないかと思われます。後のシリーズと比べてもゲーム自体に「(敵の必殺による)自軍ユニットが死ぬ可能性」が色濃いことも死が一つの物語であることを意味しているのではないでしょうか。

リセットが前提とされるようになる後発シリーズ

ところがシリーズの礎というか方向性を大きく定めた定番作の『紋章の謎』(シリーズ3作目にあたる)は完全にリセット推奨です。全キャラクター生存&特殊アイテム入手でベストエンディングを迎えられるからです。これが悪い意味で後発シリーズを規定してしまった面があるように思えます。

もともとリセットを必要としないゲームシステムを構築しておきながら、『紋章の謎』はユーザーで培われたノーリセットプレイを推奨しているのですね。それによってファイアーエムブレムはシリーズのアイデンティティを高めることにもなったのでしょうし、悪いとは言いません。しかし今は敢えて悪い側面を指摘してみましょう。

「全員生存」でせばまる遊び方

念を押しておきます。リセットを前提とした全員生存プレイがファイアーエムブレムらしさを形作り、またキャラクター性を生かした遊び方を生んだのは事実です。疑いありません。

ただしここで問題となる要素がいくつかあります。
一つ目は使われるキャラクターの問題です。ユニットが死んでしまわないように遊ぶには強いユニットを使わざるを得なくなります。最初期から加入するたたき上げユニットや成長率の高いユニットを優先的に使ってしまいがちなのですね。
二つ目は経験値の問題です。シミュレーションRPGというゲームの構造上、各ユニットは経験値をためてレベルアップしていきます。仮にユニットを死亡させて失った場合、それまで蓄積してきた経験値を無駄にしてしまう。ですからプレイヤーとしては、経験を蒸発させてしまうユニットの死亡には神経質になってしまうのです。「一つ目の理由」で使われているキャラクターを更に使うようになる心理的要因は見逃せません。
三つ目は捨て駒プレイや使い捨てプレイへの抵抗感です。全員生存させようとするプレイと、一人失っても良いから進むプレイは別物と言って良い。動画サイトでノーリセットプレイを見てみれば分かりますけれど、全員生存を前提とする遊び方とは全然違います。システムの穴を突いたり、ユニット数の限界で苦し紛れの戦術を駆使していく様子をそれぞれのプレイヤーが試行錯誤しているのです。こういうのを見ると私は「ファイアーエムブレムの遊び方ってこうあるべきだったのではないのか?」とさえ思ってしまいます。

「ノーリセットに近い意味をもつキャラクターの死」を容認する『トラキア776』

実はシリーズ中で使い捨てプレイを容認する作品があります。それが『ファイアーエムブレム トラキア776』です。高い難易度や独特のシステムでマニアックだと言われていますね。もし『トラキア776』でさっさとクリアしたいと考える場合、言い換えるならクリア後の評価を高くしようとする場合、”捨てキャラ”を用意した方が楽に進めてしまう場面がけっこうあるのです。あるいは仲間にしなくても問題のないキャラクターが何人もいる。

この『トラキア776』はコンセプトが他のシリーズとは明らかに違います(またいつかは稿を改めて語ってみたい気もしますがそれはいい)。自軍に余力がない状況下での厳しい戦闘を強いられる場面や、特殊なイベントやフラグたてが多いのです。よってパーフェクトに遊ぼうとすると、言い換えるなら全員生存かつ隠しアイテムを入手しようとすると、とんでもなく面倒になってきます。なぜそんなことをしているのか?パーフェクトプレイはやらなくても良いとされているから、なのだと思います。

キャラクターをロストしても、アイテムを取り逃しても、「さっさと進めてどうぞ」という作りになっている。しかし『トラキア776』には難易度の高さ故かハマり要素が結構見受けられます。どんどん進めていくとそうとう厳しい戦いに直面せざるを得ない。そこら辺がSFC最後を飾るマニアックなソフトの矜恃なのかもしれませんが。

さて『トラキア776』の作りを説明していくと一つ面白いものが見えてきます。ファイアーエムブレムシリーズで俗に言う「リセットありプレイ」というのは、つまるところ「キャラクターをロスト(死亡)させないプレイ」だったと言い換えることができます。ですから全員生存プレイとリセットありプレイは密接に結びついていた。しかし『トラキア776』はクリア後の評価と、極限状態での張り詰めたステージを組み合わせました。そのおかげでキャラクターロスト(或いは仲間になるキャラクター無視)の意味を薄れさせています。すでに上の王で私は初代『暗黒竜と光の剣』が「キャラクターの死去にあまり気を遣わなくても進めてしまう」と指摘しました。つまり、キャラクターの死亡を苦にもせず遊ぼうとする方向性が『トラキア776』で復活したと言えるでしょう

ファイアーエムブレムシリーズは「刷新」と「揺り戻し」を繰り返しているのです。新奇性と丁寧な作りを秘めた長寿シリーズの秘訣なのだと思います。