先が見えないものを買うこと

ビデオゲームには大まかにいって二種類の購入方法があります。情報量の差で分ける。もちろん現実にはこの2つは厳密には分けられません。

ひとつは体験版などで「情報を十分に得てから」買う方法。オンラインゲームなどの有料アイテムも同じ部類に当てはまります。

二つ目はあまり「情報を収集せずに」買う方法。体験版がそもそも出ていないゲームや、ジャケ買が典型例ですね。

賢い購入法とは何か

賢い消費者というのは一つ目のような方法でものを買います。ゲーム雑誌、ゲーム情報サイト、動画、体験版、他人からの評判を総合して、ビデオゲームを買うか決める。買う前からビデオゲームについてよく知っているとさえ言えるかもしれません。

このような人たちは自分の期待を元に商品を評価します。購入前に「この商品を買った後にどれだけのものが自分に得られるのか」を予想して買っているのです。「何が得られるのか」が分かってからお金を出している。さすがにラストまで分かった後に購入しているわけではありませんが、少なくとも何かしらの予想を立てて買っていることに変わりない。

究極的には払った金額に見合うものが手に入ったかで商品を評価する。まあつまり消費社会の勝者です。

賢くない方法にも利点はある

ではもう一つの購入方法は何なのでしょうか。これは商品から得られるものが何かを知らないで買う態度と言えるでしょう。不思議なことに、どのようなものか分からないのに買うのです。いや、わからないからこそ買っている。消費者として賢いかバカと言われたら、そりゃあバカなんだと思います。なにせクソゲーか、自分にあうのかどうかすら分からない。

だけど買うんです。そこに未知の出会いがあるかもしれないから。自分が選ぶことは確かに賢いやりかたでしょう。しかし、選択する際にはどうしてもバイアスがかかってしまう。人はそもそも興味のないものは見えません。注意深く見ていても見逃してしまうことだってある。おまけに選択する前に情報を集めるときも、一種のバイアスや好みが反映されています。つまり純粋な選択というものはあり得ない。その意味で私たちは数々の情報を比較検討しても、どうしても自分の限界に行き当たってしまいます。このような自分の限界を打ち破れるのが衝動買いだとか、他人にお勧めされたものを「無条件に」受け入れてしまう態度です。

ビデオゲームを購入して、プレイし、クリアした後に何が待ち受けているか分からない、自分がどのように感じるかは全く分からない、というわからなさを積極的に肯定していくわけです。

どっちもどっちではある

自分が選び取ったものを消費する・・・というのはきわめて合理的、理性的な買い方でしょう。このプロセスで私たちは自尊心を満たします。「ああ、自分でやりとげたんだよなあ」と優越感や満足感を得られます。私たちは自分で選択する、ということを享受しています。自由に選べることはそれ自体がまた素晴らしい。

一方で急に目についたものを購入したり、他人からの情報をそっくりそのまま受け入れることは確かに不安が抜ききれない。面白いかどうかはまったく分かりませんから。しかし、自分にたりないものを補完してくれる面があるのも確かです。ある種の強制や不快感は、自分にとって未知数であることを暗示しています。そのような嫌なものを受容するときに、私たちは新たなものを見いだせます。

で、何が言いたいか。私は二つ目の態度を大事にしたいと思っています。具体的に言うと、他人からのお薦めは無条件に受け入れるようにしています。そうすることで他の人が何を考えているかが分かりかけてくるでしょうし、そこに一種の縁を見いだすことができるような気がするのです。