全然まとまっていない論考-ゲームの未来について

『世界ゲーム革命』を読了。感想はウェブサイトとブログ、アマゾンのレビューにアップロードします。今週中にアップロードできるようにがんばります。

 

さて、以前「身体性の拡張」というキーワードを使っていたのだけれども、ゲームの未来を考えていくと拡張ではおさまりきれない例が出ることに気づきました。『世界ゲーム革命』を読んでいてハッと思ったんです。

おそらく数十年後のビデオゲームでは仮想世界へもっともっと入り込めるようになる。このような傾向はビデオゲームの未来を示す傾向ではありますが、究極絶対の1つの到達点ではありません。私たちがバーチャル世界へ入り込んでしまうと、もはや身体性とかを超えて、自分がその世界を構成する要素になってしまいます。要するに身体性が拡張するのではなくて、「バーチャル世界の私」に身体性が生まれます。変な言い方になりますが、脳みそだけがリアル世界にあって、それで現実がバーチャル世界にわるわけです。もはやそういった世界も非現実的ではなくなってきている。

で、もう一つの方向性として、現状でもビデオゲームの定義がもの凄い勢いで広がっていって、いつのまにやらリアル世界と区別がつかなくなっていっているものがある。例えばARGであるとか、初音ミクの広がりだとか、GPSを使ったソーシャルゲームであるとか。以上のようなゲームは典型的な「仮想世界へダイブするモデル」と違う。ほんのちょっぴり違う。リアルとバーチャルが、リアルを起点として融合していっています。リアル世界があってこそ、バーチャルで作られた概念やコンピュータが意味を持つ。そういう方向性です。

典型的なのはゲームとは離れますが、電話でしょう。電話ってのは実に仮想的なシステムです。なにせ電話線と電気(電波と充電池)で、本来伝えることのできないほど遠いところへ声を遅れるわけですから。しかし、その声は本当に相手のモノなのだろうか、という疑問が出てきます。それを確かめる術はありません。私たちは何気なく電話で会話するとき、そこに一定のバーチャルを介在させています。たぶん世界に初めて電話なるものが導入されたときは摩訶不思議なモノであったのでしょう。なにせバーチャルなんですから。とはいえ、私たちは何の疑問を抱かずに使えている。慣れたからか、それとも仮想的なものを受け入れたからか、果たして理由は何なのかわかりませんけど。

電話で見られた傾向が広い意味でのビデオゲームにも当てはまるのではないか。そう思います。広い意味でのビデオゲームは、『世界ゲーム革命』の言葉を使えばインタラクティブメディアであり、ゲームとしての体裁をなしていなくても良い。そこにビデオゲームで培われた技術やノウハウが反映されているだけ、とさえ言えます。今ではスマートフォンがその先鞭をつけていますよね。ビデオゲームとかコンピュータが一種の「インタラクティブな何物か」に統合されていき、私たちの生活にしっかりと根付いっているのです。まったく意識しなくても使いこなせてしまう社会がいまそこにあります。

じゃあ昔ながらのゲームは消えるのか?という疑問が出てくる。私は消えないと思います。ゲームっていうのはそこに偶然性とか競争性とかを含んでいるからこそ面白くなれます。それがいわゆる「ゲーム性」とひとくくりにされるものの正体なわけです。「ゲーム性」とひとくくりにされるものでなければビデオゲーム(またはボードゲームのようなゲーム)にならない。つまり、ゲームとは言えないものが世の中にはある。例えばインターネットブラウザとかのソフトウェアはゲームではないでしょう。そういうビデオゲーム以外ものがあるから、ビデオゲームは輝きを放つわけです。私の思うに、世界中の人たちを熱狂させている『スーパーマリオ』や『ポケモン』の面白さを、未来の人たちが捨て去るとは思えません。発明した遺産を簡単に捨て去ってしまうとは考えにくい。縮小していったり、形は変わっていくとは思いますが、優れた娯楽であるビデオゲームを手放すほど人間は愚かではないと思います。