「不確実性」の面白さ

前に『ケイン&リンチ2』のレビュー・解説で書いたこと(歴史事実とフィクション・歴史物語の違い)とかぶる内容。

なぜスポーツを見るのがやるのが面白いのか、というのは、そこに「不確実性」が含まれているからだと思う。やっていると次に何が来るのかが分らない。テニスでボールがどのように打ち返されるのか、サッカーで敵がどこにくるのか、そういうのは経験的には予測できても、最後の最後は予測できない。観戦も同じことが言えます。洗練された選手の動きを見て感激するとき、観戦は楽しくなります。ですが、もっと違う楽しみ方があるんです。選手の動きを予測し、自分で分析し、その後に選手がどのように動くかを考える方法です。これはルールを知らなければできないという意味で、やや高度な楽しみ方と言えます。

スポーツ観戦の面白さは、小説や映画を読む楽しさとはやや違います。なぜならば、小説や映画は何が来るのか既に作られているからです。物語を作ることは因果を生み出すことになります。しかしスポーツ観戦は前述のとおり、そこに運命づけられた世界はない。ですから選手が何を行うかを予想する楽しみが生まれます。先が見えないから予測に面白さが生まれる。「次に選手は何をするのか」を考えることが楽しさになるのです。スポーツは小説のようにきちんと作られた、言い換えれば因果がはっきりとした世界ではない。そこがスポーツ観戦独特の面白さを生み出します。

ビデオゲームにおいても、上記の図式は当てはまります。例えば、シングルプレイでストーリー性の高いゲームは、小説のような楽しみ方をするのがいい。そこは因果がある世界だから、因果を紐解くように遊べぶと面白くなるかもしれないからです。予定説で作られた世界と言っても良いと思います。一方で「不確実性」が高いシングルプレイもあります。例えば敵のAIを強化して様々に動くアクションゲームや、イベントが突発的に起るゲーム。こうすれば予定説の世界にはならないわけです。とはいえ現時点では(意欲的に取り組んだゲームはあるものの)現実性がない。

やはり「不確実性」を考えるのなら対戦ゲームがうってつけです。相手が何をするか分らない人間だからこそ、そこに不確実な未来が生まれる。そういった「わからなさ」に対処するから面白い。慣れたゲームが面白くなくなってしまったり、つきつめて作業へと行きつくとゲームが面白くなくなる理由も、「わからなさ」がなくなってしまうからだと考えられます。

先が分らないことは厄介だけれども、逆に魅力にもあり得るという話です。